『玻璃の城』(玻璃之城[City Of Glass])


 ブラザーズ・フォーやレターメンの甘く優しい男声コーラスを耳にしていたのは、もう三十年近く前のことになる。この映画で繰り返し強調された“トライ・トゥ・リメンバー”なんか、当時その言葉の美しさと押韻の見事さに、聴きながら歌詞に耳を傾けた初めての英語の歌だった記憶がある。Remember〜September、mellow〜yellow〜fellow、…。ラファエル(レオン・ライ)とヴィヴィアン(スー・チー) が翼を並べて邪魔なものが何もない大空を舞うときにバックで流れるこの歌の変奏曲など、二人を固く結びつけた '71年の刑務所のなかで聴いたカセットに吹き込まれたヴィヴィアンの歌声や '92年の再会時にバーで弾き語りで歌ったラファエルの歌声以上に、切ない気持ちを呼び起こしてくれた。この映画の主題は、まさしくこの歌そのものだ。
 不慮の死に到った二人には、二十年前からずっと心を離れることのなかった慕情。とんでもないシチュエーションで父と母を失ったデイビッドとスージーには、それぞれの父と母の二十六年前からの恋心を偲ぶこと。フィルターやスローモーションを多用して、ノスタルジックな思い入れたっぷりに描かれるキャンパス・ライフは、作り手たちの“トライ・トゥ・リメンバー”なのだろう。親たちが自転車で二人乗りして駆け上がった坂道を二十六年後には子供たちが二人乗りで駆け下りる。赤いバラを枯らせないためのアスピリンは、二十年後にもグラスの水に落とし込まれ、贈られた手の塑像と見合う形で投函された手紙の束がそれぞれの手元に残っている。記憶とも回想とも形見とも、場合によっては、伝言とも訳される“Remember”の名詞形、“Remembrance”が全編に満ち溢れている。だからこそ、ラファエルとヴィヴィアンの恋は、中国名がともに“康橋(ケンブリッジ)”であるデイビッドとスージーに受け継がれなければならない。
 ご都合主義的な強引さがあちこちにあり、隠しおおせない年齢設定の無理が配役にあって、うっへぇ〜となるほどめろめろにmellowな演出であっても、心情的にはやや恥らいながら擁護してしまう自分に気づいて苦笑せざるを得ない。それは、作り手が自己陶酔とは一線を画した愛情を香港の地や過ぎ去った時間と記憶に対して切に持っていると映画から感じるからだと思うし、1971年に二十歳だったラファエル(多分メイベル・チャンも)と僕が七歳しか違わない年齢だからかもしれない。


推薦テクスト:「welcome to sunsroom」より
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/kodakan/cinema/review/gulass.html
by ヤマ

'00. 8.29. 県民文化ホール・グリーン



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