アニエスb.は映画が大好き part2 “明日の映画作家たち”


短編: 『カミーユ』 ファブリス・ゴベール監督
『何も言わずに』 ヴァンサン・ペレーズ監督
『ヴァカンス』 エマニュエル・ベルコ監督
『死者とのちょっとした取引』
(Petits Arrangements Avec Les Morts)
パスカル・フェラン監督
『私を忘れて』(Oublie-moi) ノエミ・ルヴォウスキ監督
『アンコール』(Encore) パスカル・ボニツェール監督
『少女』(La Puce) エマニュエル・ベルコ監督

 意欲的な企画なのだが、平日昼からの二日連続二日上映では全作品鑑賞は最初から諦めろと言われているようなものだ。もともと県立美術館との共同主催を狙っていたようだが、当てが外れたらしい。平日の変則開催というのにも、そのあたりのことが影響しているのかもしれない。僕の鑑賞も初日の長編短編併せて7作品に留まった。

 まとめてフランス映画ばかり観ていると改めて喋りの多さに呆れる。男も女も老いも若きも実に多弁だ。それがまた、ぐじぐじした喋りが多いものだから、作品の量をこなすと実に疲れてくる。一本ごとに観るとまた違った印象になったのかもしれないが、会話の味わいを楽しむゆとりが次第に弱くなってくるのを実感していた。それでも面白かった作品は、後のほうで観たものだった。

 『死者とのちょっとした取引』は、94年カンヌ映画祭カメラドール受賞作だけあって、意欲的な題材と構成で目を引くのだが、少々観念先行型のきらいがあって、死を見つめる眼差しないしは死者の記憶というものが充分浮かび上がってきていたとは言えず、焦点の散漫さが気になった。『私を忘れて』『アンコール』は、善きにつけ悪しきにつけ徹底的に自分本位で、他人の目を気にしないフランス人気質があらわな、男と女のお話という定番的な作品だ。この二作でともに主演した女優がヴァレリア・ブリュニ・テデスキという期待の女優らしいが、見た目は全く異なるものの、どこか東洋的なものを偲ばせながら妙に鈍臭さを漂わせている点では、イザベル・アジャーニーを思い起こさせる。前者は、作品的にはそれなりにまとまっているものの、ある種いささか見飽きたような陳腐さにうんざりした。後者は、半ばギャグ的なくらいに、呆れるほどの行状が多少突き抜けている印象も残した。あれで実際に自殺なんかさせたら、まるでダメな脚本なのだが、そうはなっていない。

 そんななかで最も印象深かったのは、やはりエマニュエル・ベルコ監督だろう。短編長編とも微妙な繊細さを捉えていた。ことに『少女』で描かれた初体験の鮮烈さは、「そんなに簡単じゃないわよ」という少女の呟きとともに、さすがは女性監督と言える描写で、ドキュメンタリーのような臨場感を湛えていた。今までに観たことがないくらいの生々しさと細やかさに、思わず、確かに難儀したっけなぁと随分と昔の体験を思い起こしたりしたくらいだ。実際、これだけ延々と初体験そのものを描いた作品は、初めて観たような気がする。少女の見せる混乱と迷いや男の見せる困惑と苛立ち、そして、粘り強さ。それらは、両者ともに観ていて、何もそうまでしてとさえ思うほどなのだが、そうまでしても必ず事をなし終えようとするものなのだ、男と女というのは。そうなんだよなぁとどこか嘆息している自分を部分的に感じながら、何か根源的なエネルギーのようなものすら覚えた。美化もせず、感動的にも描かず、さりとて、扇情的に描くのでもなく、淡々とリアリティが掬い取られていて感心させられる。帰途で耳にした中年女性二人連れの会話で、少女を演じたイジルド・ル・ベスコを賞賛していた言葉に、思わず頷いてしまった。
by ヤマ

'00. 8.24. 美術館ホール



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