『踊れ!トスカーナ』(Il Ciclone)


 東京で予告篇を観たときから心惹かれるものがありながら、例会作品にはどうかなという気もしていただけに、思わぬところから急浮上してすんなり決まった後は、大いに楽しみにしていた。

 何とも言えない屈託のなさが溢れていて、それをイタリア映画らしい人間臭い味わいで楽しませてくれる。現代という時代は、機械化・管理・ストレスが決まり文句のようにして語られることが日本では多いのだが、この映画を観終えると、世界の終末がきてもイタリア人だけは明るくタフに生き延びられるんだろうなという気がしてくる。日本では十代でもあの屈託のなさは失われ、僕の息子などでも「ああいう世界がいいなぁ」と実に羨ましげであった。産業革命以来、大衆消費社会への道を邁進してきた人類だが、こういう作品を楽しんでいると、人間にとって本当に必要な“物”というのは、そう多くはないと素朴に感じる。

 それにしても若い女の美しき肢体への実に率直な賛歌ではある。男も女もこぞって女のセクシュアルな美しさを讃え、その虜となることにいささかの衒いも言い訳もない。女の女たる所以や女の価値の至上のものがまさしくそこにあると言わんばかりだ。そういう点では偏狭なフェミニストたちからの顰蹙を買いそうな作品でもあるのだが、観客の反応としては男性以上に女性の支持が高かったようで興味深かった。考えてみれば、これだけ女性を素晴らしいと手放しで崇め讃える作品で、しかもそこに嫌味やいやらしさがないのであれば、当然のことなのかもしれない。

 原題は『IL CICLONE』だから、サイクロンということで嵐なんだろうけど、町の40%の店の帳簿を預かっている会計士のくせして恋の嵐に身を投じ、町を放り出して行ける脳天気さには呆れるばかりだ。だが、それこそが人生をいきいきと輝きをもって生きるうえで最も必要なことなのかもしれない。折しも、日本でも“モーニング娘”の歌う“ラブマシーン”が大ヒットした。「♪ニッポンの未来は ♪ウォウ、ウォウ、ウォウ、ウォウ ♪世界も羨む ♪イェイ、イェイ、イェイ、イェイ 」なんて、やけくそかと疑うくらいに脳天気な歌詞だ。

 日本もイタリア化して、タフになりつつあると観るか、あるいは逆にイタリアでこんな脳天気な映画がよく作られ大ヒットするのは、とても脳天気では済まされない深刻な日々という現実があるからこそなのだろうと思うのか、個々人の生活状況や現実観が偲ばれるところだ。

 原案・脚本・監督・主演だから好き放題やれる立場のビエラッチョーニは実際にロレーナ・フォルテーザに恋していたのではないかなと思うくらい、カテリーナ(ロレーナ・フォルテーザ)に寄せるレバンテ(レオナルド・ピエラッチョーニ)の熱い眼差しが、みずみずしくもどっぷりと映画のなかに溢れていた。夜のフィレンツェの街をふたりで歩き回るシーンが素敵だった。恋人たちの思いの丈が、ふたりで歩く距離の長さに比例するというのは、本当のことだと記憶の彼方から呼び起こされるものがあった。




推薦テクスト:「帳場の山下さん、映画観てたら首が曲っちゃいました」より
http://yamasita-tyouba.sakura.ne.jp/cinemaindex/ocinemaindex.html#anchor000320
by ヤマ

'00. 1.18. 県民文化ホール・グリーン



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