『理想の結婚』(An Ideal Husband)


 タフ(tough) スマート(smart) セクシー(sexy)がアメリカン・ビューティだとするなら、伝統的ブリティッシュ・ビューティというは、ノウブル(noble) プラウド(proud) インテレクチュアル(intellectual)なのだなとつくづく感じさせてくれる作品だ。だからこそ、野暮であることが最も忌み嫌われて、時として損得や誤解、正邪、善悪などよりも重要視されるような価値観の文化が窺える。おしゃれなもの言いや立ち居振る舞いといっても、フランス的な自由奔放さとは対照的な窮屈なお行儀の良さが特長だ。それが素直な感情のコミュニケーションを疎外しつつも、それゆえにまた洗練されていると思い込んでいて、門外漢からすれば、ほとんど痩せ我慢に等しく思えるような行儀と機知に固執しながら懸命に振る舞っている節がある。そのさまが観ていて優雅でもあり、滑稽でもある。
 お話は、実に観たまんま、それ以上でも以下でもない。古典的な予定調和に収斂していくなかで、シェイクスピア劇でもお馴染みの虚実・駆け引き・擦れ違いが交錯し、いかにもオスカー・ワイルドらしい風刺と皮肉に彩られたアフォリズムがふんだんにちりばめられている。そのうえで、真のカップルが現実とは異なるアーサー(ルパート・エヴェレット) とガートルード(ケイト・ブランシェット) であることをほのめかしながら終わるという素直さの欠如もまた、いかにもらしいという感じだ。そういう意味では、チラシに書かれた「嘘つきは、夫婦のはじまり。」というのは、字義どおりのものであり、同時にまた、ガートルードが夫ロバート(ジェレミー・ノーザム)に嘘をついたことを初めて告白することで夫婦の絆を取り戻すという意味で「嘘つきは、ホントウの 夫婦のはじまり。」でもあるわけだ。つまるところ、素直さの欠如を持ち味とする原作を素直に映画化した作品だと言える。
 また、チラシの惹句にはもう一つ「“理想の夫”をめぐって、淑女と悪女と賢女が誘って騙して脅かして。」とも書いてあった。けれども、劇中で理想の夫とされるロバートより遥かに魅力的なのはアーサーであり、見事にカップルとしておさまる淑女とされる、ガートルードや賢女とされるメイベル(ミニー・ドライヴァー)よりも遥かに魅力的だったのは、悪女チーヴリー夫人(ジュリアン・ムーア) であった。そのことも、何もキャスティングのせいばかりだとは言えない、原作自体の素直でない持ち味のせいだという気がする。
 ほぼ二十年前に観た『アナザー・カントリー』で鮮やかな印象を残しているルパート・エヴェレットがなかなか渋い歳の取り方をしているように感じた。どこか、アラン・ドロンや加山雄三を想起させるところのある肥り方をしていたように思う。

推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dayfornight/Review/2000/2000_03_13_2.html
by ヤマ

'00. 7.18. 県立美術館ホール



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>