『海の上のピアニスト』(The Legend Of 1900)


 チラシに書かれていた「大西洋の上で生まれ、一度も船を降りなかったピアニストの伝説」というアイデアはとても素晴らしくて、想像力を刺激してやまない。おまけに主人公(ティム・ロス)の名前が生まれた年をとって「ナインティーン・ハンドレッド」だと聞けば、期待するなというほうが無理だ。でも、映画がこの着想の卓抜さを物語として充分に練りこなしていたとは思えなかった。何よりも作り手が話に酔ってしまっている。だから、お話になってくれないのだろう。親友マックス(プルート・テイラー・ヴィンス)の紐解かれる記憶によって綴られるエピソードが、その積み重ねのなかで次第に物語としてのうねりを獲得していく映画のリズムというものが宿っていないのだ。場面づくりやショットには、随分と工夫やうまさが観られ、それなりの効果もあげているだけに、それが“ものを語る”ことに繋がってこないのは無惨というか、惜しくて仕方がない。ちょうど十年前に観た『ニュー・シネマ・パラダイス』の成功の影に窺えた危惧というものが全面に出てきてしまっている。
 当時、映画として見事に語られた物語に感じ入りながらも、こしゃくな印象が残って、落ち着きが悪かったことを覚えている。今回の作品でもやたらと人生を語りたがるのだが、人生が感じられずに、場面の演出や作りが際だってしまうのだ。その最大の原因は、作り手が人間を描く熱意を飛ばして人生を語りたがったからではなかろうか。
 新世紀を目前に新大陸を船旅で目指した人々を大きく流れるように活写した導入部の語り口にわくわくした期待が映画の進展につれ、次第にすぼんでいった。どうして、あのピアノ・バトルをあんなに芝居掛かった対決にしてしまうのか。音楽の対決なのに、聴かせようとする以上に見せようとしたことで損なわれたものがあまりにも大きいと思う。また、たった一度録音された恋の旋律のスコアがあれだけ美しいのに、どうしてもっと生かせなかったのか。船窓越しに出会った娘にときめきながら奏でた旋律を録音した場面は素敵だったのに、それから後の二人の関わりが淡泊なすれ違いの片思いで過ぎ去ってしまったために、せっかくの美しい旋律に見合うだけの情感のこもったドラマが宿らない。
 音楽の映画でもあるのに、作り手の音楽への愛情が滲み出てこないのは、何とも味気なくて残念だった。技術的にはうまくて、アイデアにも唸らせるものがあるだけに、逆にハートのなさが浮かび上がってきたような気がする。おかげで少々苛立った。「いい物語があって、それを語る人がいる限り、人生、捨てたもんじゃない」という言葉が時間をおいて繰り返されて、強調された。いい台詞であるだけに、作り手に対して、自らそれを言ってしまってどうするのよといささか皮肉っぽく記憶に残る形になってしまったのが勿体ない。

推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dayfornight/Review/1999/1999_12_26.html
by ヤマ

'00. 4.11. 松竹ピカデリー3



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