『大阪物語』
監督 市川 準


 序盤での意識的なローアングルやタイトルからも小津の『東京物語』を意識した映画であることは明白だ。しかもスタイルそのものはドキュメントフィルムと劇映画の相互乗り入れが熱っぽく試みられた映画状況をふまえたものとして、単に小津をなぞろうとするのではなく、市川準らしい風景の切り取りと生き生きしたテンポで展開し始め、大いに期待させてくれた。

 しかし、序盤の期待が、作品を観終えて充分に満たされたかというとそうでもない。14歳の女の子にとって“ごっつしんどい”話を淡々と明るく描いて安っぽい感情過多に流れない演出スタイルは、日本の映画では珍しく、品性も湛えている。役者の演技も達者だったし、作り手の人間に向ける眼差しに好感も持てる。目に映る光景としての風景の扱いと同様に、耳に入る音声としての会話の声の扱い。そこには心象風景としての特段の象徴的な意味や聴かせる台詞としての重要な意味が込められることなく、綴られる。映画という作られた物語世界では、提供される視覚情報や聴覚情報が意図的に抽出されたものに限られ際立ってしまうことが避けられない。その限界のなかでは、こういう風景と会話の扱い方は、最も現実の視覚体験や聴覚体験に近い姿であり、映画の技法としては実に工夫されたものだと言える。

 こんなふうに、褒めるべきところはいくらでも見つかるのに、どうもしっくりこなかったのは何故だろう。それらの総てが、僕にとっては、充分な効果を生み出しているとは思えなかったのは、結局のところ人間への眼差しには好感を抱かせても、人間そのものや特に人間の関係性に対して、“活写”を果たし得てはいなかったように感じられたからなんだろうという気がする。役者の演技が達者だっただけに見えにくいことだったが、振り返ってみるとそんなふうに思えるのだ。
by ヤマ

'99. 9.10. あたご劇場



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