『ホーホケキョとなりの山田くん』
監督 高畑 勲


 中学一年生の娘が先に観てきて、つまらなかったぁと嘆いていたが、大人には結構評判がよいらしく、気にもなっていて最終日の前日、午後から休みを取ってようやく観てきた。思いの外、のびやかで良い感じで始まった。冒頭のファンタジックなイマジネーションの展開は、日本の伝統文化を踏襲したうえでの現代的なタッチが、その融合ぶりにちょっと見事なリズムを宿していた。このあたりには、世界のマーケットでの公開が予定されているという思惑も反映されていたのかもしれないが、外国人受けの狙いだけに終わってはいないところがたいしたものだ。
 最後のエピソードにて高らかに謳いあげられる“適当主義”は、ちょうど自分が高校生の頃、「過不足のないことこそが即ち適当で、過剰も無理も思い込みも僕は排除したい。」と、良い加減の“真の適当主義”をモットーとして標榜していたことを懐かしくも思い出させてくれた。思えば、僕の生き方は、あの頃からそれなりに一貫しているじゃないかと言えなくもない。
 でも、妙な“がんばリズム”は、勿論やめたほうがいいとは思うのだけれど、もう既にそんな人たちはいなくなっているようにも思う。それだから、むしろ今ごろ適当主義などを高らかに謳いあげると、それを口実にひたすら無責任へと走られそうで嫌な気がするのは、僕が歳をとった証拠かもしれない。適当が怠惰に繋がるだけなら大いに結構だけど、無責任に繋がるのは感心できないなどという分別は、いかにも年寄りくさいと我ながら思いつつも看過できそうにない。映画で言っていることは、まさに正しくてそのとおりだと思うのだけれど、それが口実にされそうな生き方が目につく昨今、人によるんだけどなぁと思わずにいられない。殊にその辺りの違いについては、自らの生き方の根底に関わるものとして、それなりにこだわってきているつもりであるだけに、あまり安売りされても困ってしまうというのが、率直なところでの自分の思いなのかもしれない。
by ヤマ

'99. 9. 2. 松竹ピカデリー3



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