『落下する夕方』
監督 合津 直枝


 原作・企画・脚本・監督・音楽・美術・編集、総てが女性の手による女性映画で、女性の感覚の不可解さというものが際立っているところが興味深かった。いかにも女性的な“ファンタジーとしてリアルである”というちょっと変な感じ方をした。
 ちょうどポルノ映画が、男にとってある種のファンタジーであるという点においては生々しくリアルでありながらも、そこに描かれる世界を現実として見るといかにもリアリティを欠いているのに似ている。愛情でも甘えでも恨みでも怒りでも受容でも不満でも、あらゆる感情表出が総てセックスであるのがポルノ映画の特徴だが、そんな現実のなかで暮らしている人間は殆どいないはずだ。しかし、そこに至る心理の動きや願望のイメージの表出として観れば、優れたポルノ映画には生半可な文芸作など足元にも及ばない生々しいリアルさがドラマの骨格にもディーテイルの描写にも宿っていることが多々ある。だが、それは多くの男性には容易に納得できることでありながら、女性には理解されにくいことが多い。この作品に感じるリアルさというのは、性別が反対の形でそれと似たようものだという気がした。
 そして、登場人物の数の少なさ、相互の関係の閉鎖的な濃密さ、その関係の倒錯性といったところも、この作品がポルノ映画と共通している点だ。主要人物は、坪田リカ、薮内健吾、根津華子の三人。三人とも現実にはいそうもない人物たちだが、存在感に満ちている。倒錯的な三角関係のなかで、魂の汚れのなさといった点で共通する三人のキャスティングが何とも絶妙だ。幼い頃から辛抱強かったというだけでは済まないリカのキャラクターのなかには、自分自身への突っ張りとも言えるほどに、自身に対するセルフイメージ維持のための自己コントロールを絶やさず、ある種の透明感と清潔感を具現化する心性が窺われるが、まさしく原田知世のはまり役と言える。とことん天衣無縫に見える屈託のなさを装わせるほどに重く深く刻まれた、弟との間の過去の顛末を背負った華子のキャラクターも菅野美穂なればこそという気がする。ただ健吾にリカとの訣別を決意させ、彼を翻弄し憔悴させるほどの魔性を体現し得てはいなかった。そして、健吾の体現する純粋さと生真面目さのなかに潜む曖昧さというものが、若い女性たちの好む優しさであり、誠実さなのかと思うといささか嘆息を拭えない気もするが、演ずるのが渡部篤郎だったからこそ辛うじて許容できたという面があったように思う。
 作中に「子供のころ一番好きだった物語は?」という問い掛けが何度も出てくるこの作品は、結局のところ、原作者が最も愛好したのであろう『かぐや姫』をベースに、大人になった若い女性たちから一番好きな物語として共感されることを密かに望んで生まれ出た物語なんだろうという気がした。ファンタジーであるのも当然というわけだ。合津直枝の脚本・監督は、そこのところのポイントを的確に押さえて映画化しているところがなかなか見事であった。
by ヤマ

'99. 2.10. 県民文化ホール・グリーン



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