『永遠と一日』(Eternity And A Day)
監督 テオ・アンゲロプロス


 アンゲロプロス作品において、歴史的時間を大胆に包括するスケール感を愛好する僕としては、彼自ら「今回は個人の時間であって、歴史的時間ではありません。」と語っている本作は彼の作品のなかでは特にお気に入りの部類に属するものではない。しかし、死を覚悟した初老の詩人に起こる僅か一日の出来事において交錯する記憶や想念、思い出などを夢現のごとく、一筆書きのような連続性でもってイメージ展開していく、アンゲロプロス節ともいうべき独特の話法にふれると、このように突出した個性を全面的に映画に託し表現することが許された最後の巨匠なのかもしれないなどとしみじみ思う。
 この作品では、今までにないほどテーマ音楽が強調され、その音楽のもたらすものが映画の印象を豊かにしてくれたような気がする。甘やかな懐かしさを呼び起こしつつも、哀愁を帯び悔悟の影も漂う詩情豊かなメロディーだった。オープニングシーンに先ずピアノのソロで登場し、途中でフルオーケストラでも何度か奏でられたのち、ラストシーンではアコーディオンのシンプルな響きに戻って、深い印象を刻み込む。そのほかにもこのテーマ曲の主題を偲ばせる変奏が何度も登場し、呼び起こされていたので、これまでになく強調されているように感じたのかもしれない。
 言葉としてはやはり“クセニティス(どこにいても、よそ者)”だ。この拠り所のなさ、根のない浮遊感を連想させる言葉が、主人公アレクサンドレ(ブルーノ・ガンツ)の人生の悔悟に触れるようで象徴的だった。娘カテリーナの誕生披露パーティに親族が集まった三十年ほど前の夏の日に妻アンナ(イザベル・ルノー)が自分宛てに綴った手紙を、今になって娘に朗読してもらって、「知らなかった…」と呟かざるを得なかったとき、彼の胸に去来していたものは何だったのだろう。
 泣き顔に気づき尋ねても「なんでもない」と素早くくるりとまわって見せ、「夏の日の美だ!」と彼が讃えるに相応しい明るさと快活さを全身で表現してくるアンナ。彼の記憶に浮かぶアンナは豊かなおおらかさと輝きに満ちている。手紙に綴られたような、思いの丈を持てあまして内に秘めた真情の切実さがそれほどのものだったとは思いもよらなかったのであろう。兄や妹から「いつもと同じ。自分の世界に隠れてる」とか「子供の頃から同じ。執筆中は家族は沈黙」などと揶揄されても、そうして詩に立ち向かい言葉を真摯に模索する自分をアンナは認め、それがあるからこその自分であることもすっかり承知してくれていると思っていたのではなかろうか。あまつさえ、そういう部分こそが自分自身の根幹をなす部分で、それを失うことは、むしろアンナの愛を失うことにも繋がりかねないほどの変質を自分にもたらすことだ、などと身勝手に思い込んでいたのではないかという気がする。アンナにしても、それが判っていたからこそ、切々とした真情を内に秘めるしかなかったのだろう。気づいてほしいと願いながらも素直に表現できずに決して届くことのなかった言葉たち。
 言葉を求め、詩を求め、見知らぬ医師からさえ「あなたの詩と小説で育った世代です」と言われるだけの作家となり得ても、確かな拠り所とはなり得ず、本当はもっと大事なものだったのかもしれないと今さらになって思いながらも、身近な妻の内なる言葉を得ようとはしないで過ごしてきたこれまでの人生への悔悟が孤独の影に重なり“クセニティス”に重なる。
 しかし、少年(アキレアス・スケヴィス) からもらった最後の言葉“アルガディニ(とても遅く)”ではあっても、人生の最期に至って妻アンナの言葉が初めて詩人に届きはじめる。そして、幻想のなかで、初めて(?) 彼が妻からもらった言葉が“永遠と一日”であったのだ。姿の見えなくなったアンナに向かって「言葉で君をここに連れ戻す」と詩人はその日、少年からもらった言葉の数々を繰り返す。ようやく自分の声が夫アレクサンドレに届き始めたことを知って、彼岸から呼応してくるかのように、遠くから彼の名を呼ぶアンナの声を聞いたとき、後ろ姿のアレクサンドレが肩を震わせていたように見え、観ている僕にもしみじみとした感情が湧いてきたところで、エンディングを迎えたのだった。

推薦テクスト:「楽園計画」より
http://www.din.or.jp/~felice/cinema/review/eternity.html
推薦テクスト:「Silence + Light」より
http://www.tricolore0321.jp/Silence+Light/cinema/review/eientoit.htm
推薦テクスト:「こぐれ日記〈KOGURE Journal〉」より
http://www.arts-calendar.co.jp/KOGURE/cinemahall-shiga.html
by ヤマ

'99. 9.24. 県民文化ホール・グリーン



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