『交渉人』(The Negotiator)
監督 F・ゲイリー・グレイ


 緊迫感のある映画で充分に楽しめた。二時間を越える長尺を感じさせない演出力は大したものだ。俳優の個性も上手く生かされていたように思う。まぁ、映画では派手派手しい陰謀というものにすっかり馴らされているので、結末が“泰山鳴動して…”といった感がなきにしもあらずだが、リアリティからすればこちらのほうが本当なんだろうという気がする。『RONIN』(ジョン・フランケンハイマー監督) が、結局あの謎が何だったのかを明かさなかったのも判らないではない。
 それよりも一寸興味を惹いたのが、人質にされた女性の描き方。女だから解放してやれとの声に「女であることは関係ない。この事件に私は無関係なんだから解放して貰いたい。」と言わせていた。そのうえで、状況を見て主人公ダニー・ローマン(サミュエル・L・ジャクソン)を罠に掛けたらしい自分の上司ニーバウムの秘密ファイルの存在を自ら進んで喋らせて、ダニーの事情を察し、彼にある種の理解と共感を持つに至ったかのように観客に見せておいて、その実は、解放されると陰謀者の側にダニーの逃走先をあっさりと喋らせてしまう。念入りにも、その姿を見て同じように人質にされていたタレ込み屋が目を覆ってしまう場面まで用意してあった。この手の女は信用ならない、状況次第で節操なく裏切る誇り卑しき奴だと言わんばかりで、作り手が持っている、女性に対するある種のニュアンスというものを感じた。
 そう言えば、殺された内偵者の妻にしてもダニーの妻にしても、もちろん恥知らずな人物に描かれてはいないけれども、自分の感情のみを最大限に優先させている人物像だという受け取り方もできなくはなかったし、ダニーに指名された交渉人クリス・セイビアン(ケビン・スペイシー) の妻や娘にしても、女というものは、どうにも厄介で持てあます存在だという作り手の意識が透けて見えるようだった。ひょっとすると、娯楽作品としての対象者を一般大衆の男たちというふうに想定していて、その彼らの意識というものに対する作り手の認識がそういうものであって、観客サービスということなのかもしれない。いずれかは判然としないけれども、結果的には男性中心主義の映画だと指摘されても仕方がないように思う。黒人映画の系譜として観ると、アメリカン・アフリカンに対しては従前の作品にはないリベラルさというものをわりあい自然な形で体現しているように感じさせる映画であっただけに、却って女性のことが際立って感じられたのではないかという気がする。
 この点についてどのように思うかと、自称“暗闇愛好家”である高知映画鑑賞会例会の常連客の女性に尋ねてみたところ、ダニーの行き先を追っ手に知らせた場面は、展開上の必要性から安易に女性が犠牲にされたような感じを受けたとのこと。あんまり頭使ってない脚本だとも思ったそうだ。でも、他の部分はそういう面では全く気にならなかったそうで、むしろニフティ界隈では男性よりも女性にこの映画は好評なのだと教えてくれた。
by ヤマ

'99. 7.25. 松竹ピカデリー3



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