『ビッグ・リボウスキ』(The Big Lebowski)
監督 ジョエル・コーエン


 コーエン兄弟の新作ということでちょっと期待していたのだが、登場人物たちのキャラクター造形があまりにも極端なうえに下品で、違和感と反発が強く、まるでオバカなお話にいささか白けてしまった。それでも、このバカ話にある種の魅力を与え、見せるに足る部分を創りあげたのは、映像の技術と奇ッ怪な人物たちを達者に演じた俳優の力量であろう。殊にジェフ・ブリッジス演じる“デュード”の幻覚として展開するイメージは、映像のリズムも音楽の色合いもなかなかのものだったと思し、ジョン・グッドマンやスティーヴ・ブシェーミ、ジュリアン・ムーアやジョン・タトゥーロなどが演じる、とても好きにはなれず共感も持てない連中の妙に生き生きしたキャラクターには、不快感を催されながらも惹きつけられた。
 しかし、考えてみれば、徹頭徹尾自分の主観が絶対的で、ひらめきや思い付きは大事にするけれど、懐疑性や思索性には冷ややかな、実に脳天気なおめでたさとタフさでもって、いささか幼稚で知性を欠いた強烈な自己肯定を表現し主張するというのは、アメリカ文化そのものの確かな一面であり、この作品は、そのことをよく捉えている映画だとも言える。けれども、そこに風刺や揶揄の視線が欠落し、対象として捉えることよりも、この映画作品自体がそういう脳天気さと自己肯定を体現してしまったために、面白がって観るよりも、何処か不快感がこびりついたような気分の悪さが拭えないままに観てしまったような気がする。
 70年代の学生運動の挫折やらヴェトナム戦争の痕跡、ニューフェミニズム運動、財団活動に及ぶ大富豪の存在、失業貧困問題や人種問題、あるいは超保守主義やテロなど、アメリカ文化を語るうえでの重要なモチーフをせっかく周到に摘出し、表現的にも映像感覚や技術そして演技の充実などを果たしていただけに、余計に勿体ないように思った。
by ヤマ

'99. 4.23. 県民文化ホール・グリーン



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