『離婚のあとに』(離婚了、就別再来找我)
監督 王瑞[ワン・ロイ]


 パソコンやらレーザー光照明のディスコ、携帯電話などが登場しなければ、昭和40年代の日本のテレビドラマを中国語の吹き替え版で上映しているのではないかと思うくらい、いささか陳腐で呆れるほどに通俗的なドラマであった。NHKのETV特集「現代中国 アートの旅」で黒木和雄監督が、最近の中国の表現における“普通の人々の目線で普通の人々の生活を捉え、描こうとする動き”に強い関心を寄せていたが、この作品などもそのようなムーヴメントのなかで登場してきたものなのだろう。こういう作品を中国映画として観るときが今世紀中に来ることなど想像もしなかった。
 しかも高度成長期の日本さながらに、経済と学歴に対する至上主義的な価値観が支配的である社会風俗が窺われるのだ。香港でも台湾でもなく、経済特区の上海でもなく、共産国の政治の中心地である北京の普通の人々の姿のなかにだ。また、カラーテレビを持ちながら貧しいと言っていたり、技術も学歴もありながら正業に就かないなど中国映画に描かれる貧しさも随分変わってきたなと隔世の感がある。  それにしても、このドラマの通俗性は生半可ではないばかりか、およそ大陸的スケール感を欠き、島国日本の四畳半的メロドラマに通底している点で衝撃的だった。売れない中年作家である李浩明[リ・ハオミン]の長髪や風貌、服装などいかにも日本的な馴染みの類型だし、紅[ホン]の恋人でもあったマネージャー男のろくでなしぶりも、慧[ホイ]と紅[ホン]の姉妹の対照も、妊娠を巡るエピソードもあまりの通底ぶりだ。“普通の人々の目線で普通の人々の生活を捉え、描こうとする”ことが直ちに通俗的で卑小な人間ドラマを綴ることを意味するものではないのだが、こういう陥穽に嵌まりやすいものであるということもまた改めて感じさせてくれた。
 現代日本映画として観たら、失笑を買いかねない作品なのだが、実に興味深く観ることができたのは、映画というものが時代と社会を写し取るものだからこそだ。作品自体の質にはたいして価値がないのに、作品の存在には大変興味深いものがあり、価値があると感じられる作品があるということを改めて知らされたような気がする。ほかではなかなか出会えない「中国映画をみる会」の上映会ならではの貴重な上映作品だと思った。
by ヤマ

'99. 1.21. 県民文化ホール・グリーン



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