『ビヨンド・サイレンス』(Jenseits Der Stille)
監督 カロリーヌ・リンク


 春に配給元のパンドラが送ってきた試写会案内の葉書を見たときから気になっていた作品だった。自主上映会の手によらず、劇場公開されることになったのは意外だったが、実に良いことだ。あたご劇場の水田のお爺さんから招待券をいただいて観たのだが、思っていた以上に素敵な作品であった。

 愛情と自己主張と生きることに対する感受性というものが瑞々しく描かれた秀作で、観ていて実に気持ちが良い。自己満足やお節介、干渉とは異なる真の愛情というものを説教臭を全く感じさせない形で浮かび上がらせていて好もしく、同時に、自己犠牲や抑圧に陥らずに伸びやかに表現される自己主張というものが生に対する感受性の豊かさに支えられていて、そのような生命の力によって懸命に生きる人間の姿が清々しく美しい。

 何よりも親子や夫婦、兄妹、姉妹、親戚関係などを通じて捉えられる人間の関係性に対する視線が非常に繊細かつ知的で、しかも抒情性豊かに綴られるところが素晴らしい。両親がろう者である娘ララが、こともあろうに音楽家を目指す話などという突拍子のなさは、実話がヒントでなければちょっと難しかろうと思うのだが、この設定によって、娘と父親が互いに伝えようとして伝えられない、理解しようとして理解し得ない、音楽についてのもどかしさというものが際立つ。しかし、親と子の間で相互の自立の過程において直面するこのディスコミュニケイションは、実は普遍的な問題であり、世代の違う人格のぶつかり合いによる葛藤こそが親子間の自立の過程なのである。そのとき、断絶に対しどのように向かい合おうとし、どのようにして葛藤に悩むのかということにおいて、この物語には清々しくも美しい愛情と誠意が満ちていた。そこには作り手の人間存在に対する基本的な信頼感と善意が窺える。

 父は祖父との間で、親子のこの断絶を乗り越えられなかった。一方がろう者であることが相互理解を阻むことに繋がり、葛藤が未解決のまま今に及んでいる。そしてその影響は、母親から受ける愛情という問題を巡って、父の妹である音楽家の叔母の愛情問題と承認欲求の屈折にも陰を落としている。その父を救ったのは、同じろう者であった母である。爽やかな明るさ、しとやかな勇気と自信、素直で自然な誇りと希望、そして、豊かな愛情といったものをまるごと体現している彼女の存在感に負う形で、ララの家族が育まれていることがよく判る。その一方で叔母の夫は、妻を愛しながらも自分が彼女の屈折を救えない無力さに哀しみを覚えている。だからこそ、妻の姪であるララの自立に向けて、過剰も不足もない見事なスタンスで愛情あふれる支援を果たすのであろう。

 そういった人間の関係性における微妙で細やかな心理と力学を説明調のエピソードの積み重ねによることなく、ユーモアと機知を折り込んで台詞と人物の存在感を中心に描き出し、脚本と演出と演技が絶妙のアンサンブルを奏でる作品となった。ララの母の存在感は、この作品のなかでも出色で、扮したエマニュエル・ラボリの演技は、実際のろう者であることによるものを遥かに越えた見事なものであった。

 一般的にはろう者の問題を扱った作品とされるのだろうが、ろう者の家族の物語でありながら、ろう者問題を扱った映画だとは少しも思わなかった。あくまで親子の自立と家族の問題を描いた作品で、たまたまその家族がろう者であるだけという印象だ。これは非常に珍しいことではないかと思う。ろう者が主要人物という設定なのに、そのような仕上がりとなった作品の奥行の深さと豊かさとに改めて敬意を払いたい。これが長編デビュー作となる女性監督カロリーヌ・リンクの今後の作品が楽しみだ。女性ならではの個性が際立ちながら、そこにいささかの嫌味も感じられない女性監督に出逢ったのは久しぶりだ。僕にとっては『私の20世紀』のイルディコ・エニエディ監督以来で、とても新鮮だった。




推薦テクスト:「マダム・DEEPのシネマサロン 」より
http://madamdeep.fc2web.com/biyonds.htm
推薦テクスト:「Silence + Light」より
http://www.tricolore0321.jp/Silence+Light/cinema/review/beyond.htm
by ヤマ

'98.11. 7. あたご劇場



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