『アントニア』(Antonia)
監督 マルレーン・ゴリス


 最近、何かというと「女性ならではの」とか「女性の視点から」ということが、何ぞのように、特に行政関係ではことさら女性を持ち出すまでもないような当たり前の問題意識にまで安直に冠せられたりしていて耳障りで仕方がないのだが、この作品などは「女性のための」かどうかはともかく、まさしく「女性による、女性の映画」だと言えるように思う。異性としての男性がとらわれやすい部分を敢えて排除した形での女性の美徳のほぼあらゆるものが確かな造形力で描かれている。おおらかさ、豊かさ、たくましさ、力強さ。それらの基底にあるのは、“生命を産みだし、育む性としての女”である。もちろん、男性も女性のこういう側面を捉え、描出することは多々あるのだが、そこのところを男性が描こうとすると、どうしても一括りにして母性といったイメージに集約してしまうような気がするし、異性としての女性に目を向ける部分を排除することができずに終わる。それに対し、マルレーン・ゴリス監督がいわゆる母性といったものを鼻につかせることのほとんどない形で、“生命を産みだし、育む性としての女”を描き出しているところに男性作家には真似のできない捉え方としての新鮮さを感じる。
 それにしても、細部のリアリティに全くこだわらない展開やイメージあるいは人物造形の自由奔放な豊かさには驚かされる。それでいて荒唐無稽などとは微塵も感じさせずに、作品全体に帯びる力強さやたくましさ、おおらかさといったものに結実させていく構築力は、生半可なものではないという気がする。僕もそれなりに数多くの映画作品を観てきてもいるはずなのだが、こういう映画にはあまり出会ったことがなかったように思う。
 主題も視点も異なるけれども、豊かなイマジネーションによって綴られるドラマの背後に不思議なスケールの大きさと人生の真実を感じさせてくれた作品として少し似たようなテイストを味わったのは、ジョン・アーヴィングの小説『ガープの世界』だった。この小説は、ジョージ・ロイ・ヒル監督によって映画化されており、映画作品も相当なものだったが、豊かなイマジネーションの構築する不思議なスケールの大きさという点では小説には遠く及ばず、映画として小説とは又違った味わいの感動をもたらしてくれる秀作であったように記憶している。小説のほうを後から読んで、このテイストを映画で再現するのは至難の技だと思った。そして、いたずらに原作をなぞることなく、小説とは又違った味わいを映画作品として表現しようとした、映画化に際しての判断と選択の適確さに感心した覚えがある。
 しかし、この『アントニア』は、まさしく豊かなイマジネーションによって綴られるドラマの背後に不思議なスケールの大きさと人生の真実を感じさせてくれる作品である。観ていて共感や好感を感じる部分は、僕にはあまりなかったのだが、強いインパクトを受けるとともに、実に感心させられた。筋書によって構築されているわけではないドラマの持つ物語性の力を再認識させられたということだ。

by ヤマ

'98. 2.25. 県民文化ホール・グリーン



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