『レ・ミゼラブル』(Les Miserabies)
監督 クロード・ルルーシュ


 なんとも大きな映画である。『レ・ミゼラブル』という巨大な小説をそのままタイトルに冠して映画を撮ろうという心意気にも脱帽するが、それがいささかも見劣りしないだけの作品を撮り上げた力量には感服してしまう。
 映画生誕の年に生まれた設定の主人公アンリ・フォルタンの物語なのだが、彼の父親の話から始まるスケールの大きさにまずもって圧倒される。そして、原作を単純になぞるのではなく、その魂を受け継ぐキャラクターを新たに造形することによって、激動の20世紀を描こうとする大胆な構想に驚かされた。人物造形にもドラマの展開にも、実に巧みに「レ・ミゼラブル」が投影されていて、尚且つオリジナリティを強く感じさせてくれる脚本の勝利だ。
 並外れた力持ちであるためにジャン・バルジャンと仇名される運送屋アンリ・フォルタンは、コゼットのような苛酷な少年時代を過ごしたために字が読めない。まわりの誰もが知っているジャン・バルジャンの名前にも見当がつかず、教えられた「レ・ミゼラブル」を読めもしないのに買い求める。時あたかもナチス進攻下のフランス。舞台でコゼット役を踊り、有名ダンサーとなったフランス人女性は、元劇評家で今や敏腕弁護士として成功したユダヤ人を夫に持つために、一人娘を連れてフランスから逃げ出そうとする。その逃避行に協力し、車に同乗させてやる代わりに、ファルタンは、長い道中「レ・ミゼラブル」を読んでもらうことを求めた。
 身寄りのないファルタンがこの家族と出会い、「レ・ミゼラブル」と出会ったことが、彼のその後の人生に大きな影響を及ぼす。ファルタンは「レ・ミゼラブル」との出会いにより、人生を考え、人間を見つめることを学んだ。彼は、この小説のなかのさまざまな場面に、自分の人生に訪れたさまざまな出来事を見い出し、自分の出会ったさまざまな人物たちを発見していくのである。
 ファルタンがこの小説に非常に大きな影響を受けていく姿が描かれるうえで、実に効果的で鮮やかだったのが、「レ・ミゼラブル」の有名な場面の映画への挿入方法である。あるときはファルタンに読み聞かせる語りで、またあるときは、ファルタンのイメージのなかの再現ドラマとして彼がジャン・バルジャンを演じる形で、さらにはファルタンが街の劇場で観る映画として過去に撮られたフィルムを再生する形で、といった具合に変幻自在に綴られる。そして、観客の目にもファルタンの人生に訪れたさまざまな出来事が、まさしく「レ・ミゼラブル」さながらだと思える仕掛けになっている。
 そのファルタンの人生、そして彼が出会った家族の人生というのが、背負わされた重荷や時代の苦難と闘いながら、勇気と誇りをもって懸命に生き貫いていて、観る者を圧倒する。物語の壮大な仕掛けに負けないだけの人生の真実が、凄まじくも眩しいばかりに浮かび上がっていて、感動的であった。そして、小説がこれだけの物語をインスパイアさせたという事実や、文学史上著名な作品ほど実際にはあまり読まれないのが当たり前というなかで、誰もがそのお話や登場人物のことを知っていることが、御当地フランスだけでなく、日本でも全く違和感がないという事実を目の当たりにして、改めてヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」の偉大さを思い知らされたような気がした。

by ヤマ

'97. 6.27. 県民文化ホール・グリーン



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