『キッズ』(KIDS)
監督 ラリー・クラーク


 これまで、それなりに多種多様の映画を少なからず観てきているはずなのに、そして、それらのなかには、相当危ない映画も数多く含まれていたはずなのに、まだこんなふうにドギマギしながら映画を観ることがあるなんて、我が事ながら驚いてしまった。それだけ強烈だったということだ。

 成人指定ではないから、映像的に露出度の高いものがあるわけでも、露骨な性行為を映しているわけでもない。むしろ、そういう映画だったら、これまでに随分と観てもきているので、こんなふうにドギマギしたりはしなかっただろう。そういう映画は、どんなに描写が露骨であろうが、変態的であろうが、結局のところ、セックスを題材にしたファンタジーとして作られているので、生態としての生々しさとは対極にある。この作品は、明らかにファンタジーとは全く反対方向のものを志向して撮られている。いつの時代も変わらない、若者にとっての最大の関心事である性を通して、現代の若者のやり切れないほど荒廃した精神を容赦なく描き出しているのである。

 ドキュメンタリーとみまごうほどのタッチで綴りながら、明らかにフィクショナルで作劇的な構成と展開を果たし、それでいて、よくあるアダルト・ビデオのようなヤラセのナマものを数段上回る生々しさでもって、若者の生態を捉えている。ドキュメンタリーでありながらも表層しか捉え切れない作品などは、足元にも及ばない生々しさだ。

 それにしても、この荒廃ぶりと刹那に徹した生き様はどうだろう。悲しさを通り越して、憤りとともに暗澹たる気分に見舞われる。そして、この荒廃が現代の“若者の荒廃”ではなく、“現代の荒廃”であることが否応なく伝わってきて、生きにくい時代に生まれた子供たち(かといって子供たちにとって格別生きやすい時代があったとも思われないが)が時代と社会の荒廃に吹き晒された姿を観るようで痛ましくもあった。マチュー・カソヴィッツ監督の『憎しみ』を観たときも似たような印象を抱いたが、『キッズ』のほうが遥かに観ている者を生に揺さぶってくる。

 上映会場は、たくさんのティーン・エイジャーでほぼ満席状態だったせいか、上映直前までガヤガヤと耳慣れぬ騒がしさに包まれていたが、映画の本編が始まって少ししただけで、場内が水を打ったような静けさに変貌したのも強烈な体験だった。力のある映画の威力を見せつけられたような気がした。
by ヤマ

'96.11.28. 県民文化ホール・グリーン



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