『レッド・チェリー』(紅櫻桃)
監督 イエ・イン


 第二次世界大戦中、ソ連に留学した中国の少年少女が戦争に翻弄され、悲壮な死や生涯癒せぬ傷を負った悲しい映画なのだが、観ている者の胸を打つのは、その悲劇の痛ましさではなく、過酷な状況の中でも輝きを失わなかった少年少女の魂の清冽さである。この作品が辛く悽惨な物語でありながら、見終えた後、どこか清々しい余韻を残すのは、そのためである。イエ・イン監督は、見事な演出と語り口で、子供たちの荒むことなき魂の強靭さをあますところなく綴っていく。その的確さは、もう一方でのナチスの蛮行の非人間性を描き出すうえでも、簡潔で容赦がない。それでいながら、ヴェラ先生の射殺にしてもファナティックな刺青フェチの将軍の施術にしても、その描写は、生々しいリアリズムではなく、洗練された美しさを湛えていてゾクッとさせる。中国の映画が僕らを魅了し始めた頃は、線の太いドラマのスケールの大きさと力強さがその魅力であったように思うのだが、最近の中国映画の洗練のされ方には、目を見張るものがある。
 ところで、この作品は実話を基にしているとかで、その点では恐らく相当の美化や脚色が為されていると思うのだが、事実に対してどうなのかといったことがほとんど全く気にならずに、実話であろうがフィクションであろうが構わないドラマのなかで、その掬い取られ、描かれたものに対して素直に感動することができる。これは、たいしたことではなかろうか。共産主義革命を時代や社会の希望として信ずることのできた時分のイワノフ・インターナショナル・スクールの描写の明るさや開放感に対しても何の違和感も生じてこないし、ある種の眩しささえ感じる。一九四一年のサマーキャンプ前に、シャワー室を壊してしまった学院でのエピソードやヴェラ先生の描写には、特にそういったものが込められている。
 そういう台頭期の共産主義ないしは社会主義の原点をノスタルジックに想起させる部分があるという点では、子供たちですら、社会や国家のために身を投じ、戦おうとする姿が描かれる部分も含めて、当局にとっても都合の良い作品だったのではなかろうか。しかし、その点でもイエ・イン監督は、相当にしたたかである。戦後を迎えたラスト近くの場面では、ワトキン学院長とソ連の将校との会話のなかに、共産主義の理念の本末を転倒させる、非情で非人間的なビューロクラシー(官僚主義)の忍び寄る影を暗示していた。

推薦テクスト:「マダム・DEEPのシネマサロン 」より
http://madamdeep.fc2web.com/redcerry.htm
by ヤマ

'96.11.30. 自由民権記念館ホール



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