『ユリシーズの瞳』(To Vlemma Tou Odyssea)
監督 テオ・アンゲロプロス


 今世紀100年を語るのに、歴史的な分析や年代記としての考察ではなくて、二十世紀を生きてきた者としての時代への思いという極めて主観的な形で百年間を語ることのできる、作り手の時代認識のスケールの大きさに驚く。それは、単に大きな時間枠で物語を構成するということではなく、自分と密接に繋った時間としての思いでもって感情を伴なった形で語ることだが、通常の場合、そういったことができるのは、精々で自分の生きてきた年齢に見合った時間ではないかと思われる。それだけに凄いものだと感心させられるのだが、この点でアンゲロプロス監督がバルカン半島の生れで映画作家であるということは、大きな意味を持っているようだ。
 この作品で提示されているように、今世紀はバルカン半島の街サラエボを象徴的なトポスとする二つの戦争、第一次大戦とボスニア紛争で始まり暮れた世紀だと言える。前者は、バルカン半島という『ヨーロッパの火薬庫』のなかで起こった暗殺事件に端を発した戦争だが、民族主義と列強諸国の帝国主義が入り乱れて世界の三十数ケ国が参戦しており、それまでにない地球的規模の戦争だという点では、今世紀後半の世界を決定づけた第二次大戦に先駆けるものであった。それと同時に、産業革命の進展によって一九世紀末から世界を席捲した独占資本主義による帝国主義の出現が招いたものとして「近代」の終焉を告げるエポック・メイキングでもあった。そして後者は、今世紀末の東西冷戦構造の終結によって、それまでのバランス・オブ・パワーのなかで抑圧されていた国内民族問題が、特に旧東側の国々を中心として地球的規模で噴出してきて民族戦争となったものの一つである。その混迷の深さと悽惨さとともに、現代に至っても歴史の因果の根深さからは、けっして人類が逃れられるものではないことやそういう因果は、けっして中東パレスチナ問題に限られたものではないことを、来たるべき世紀を前にして人類に突きつけてきたという点で、やはりエポック・メイキングとなる出来事だと思う。しかし、個々の問題に対しては、そのような認識は持ち得ても、今世紀をそういう意味を持った世紀だとして括る時代認識やトポス感覚は、なかなか持ち得ない。バルカン生れの者ならではのものだと言えるのではなかろうか。
 そしてまた、マナキス兄弟の失われた眼差しを求めてさすらう映画監督のエピソードにしても、今世紀末に映画生誕百年を迎え、映像の世紀とも言われる二〇世紀を映画監督として生きて来、第二世紀を前にして映画の眼差しの力を問い直す立場にあればこそ、お祭り騒ぎの映画百年などとは程遠い苦渋に満ちた真摯な旅となるのであろう。
 そういった事々に対する作り手のリアリティがことごとく映像に結実しているところが何といっても流石である。曇天の下、白く霞む寒々としたエーゲ海に姿を現わす青い帆船の映像や船一杯に横たわり、大河ドナウをゆるやかに上って行く巨大なレーニン像と川岸にひれ伏しながらそれを見送る農民たちの映像。あるいは、第二次大戦の終りを告げる一九四四年末からの五年間を大晦日一夜だけを繋いでいくことで慌ただしくも政治に翻弄された一家の姿を感じさせるとともに、それによって大戦後の動乱を一気に見せた運びの巧みさも含めて、映画ならではの豊かな表現に満ちた作品である。
 そして、見終えた後、もっと作品に接近したい気持になって、思わずかつて大学受験当時に愛用した世界史の参考書を手にしたくなるような求心力をこの作品は持っていた。ささやかではあるにしても、実際の行動としての何かを触発する表現というのは、やはり大したことなのである。国際交流や国際理解の触媒としていかに映画が有効であるかと言われることは多いのだが、改めてそのことを実感した。また、時代認識や歴史観といった普段あまり気に留めることのないことについて思いを馳せる機会となったことも自分にとっては貴重な時間であった。殊に、現代の荒廃と閉塞感に捉われがちななかですっかり忘れてしまっていたことながら、二〇世紀が希望と変革の時代であったということをむしろ思い出させてくれた、「乾杯・・・失われた希望に、結局は変革などしなかった世界に。」という政治記者ニコスの科白が心に残っている。
by ヤマ

'96. 7. 6. 県民文化ホール・グリーン



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