『戦争と青春』
監督 今井 正


 作品がどうこうと言う以前に、このような映画が市民プロデュースという形で製作され、その上映と鑑賞が真摯な熱意でもって市民運動のようにして展開されていること自体が実に感動的である。試写上映に先立つ監督挨拶のなかで、いみじくも今井監督はこのように語っていた。「空襲映画なんて暗くて惨めったらしくて気が進まないと思うかもしれない若い人たちに是非観てほしい。そのために現代劇の部分では明るさと分かりやすさを心掛けました。」と。その言葉どおり、まるで差別や人権問題の研修会などで上映されているいわゆる啓発映画のように、確かに明るいが、ぎこちなくかしこまったドラマと作り手が本来描きたかったであろう、空襲の惨劇やあの時代の傷を心の中に拭い消せない滓のようなものとして抱きながら今を生きている人々の重く厳しいドラマとが混在している。

 その混在を是とするか非とするかは意見の分かれるところであろうが、例えば、北海道の炭鉱で強制連行によって家畜以下の扱いで働かされている朝鮮人労働者を憲兵がいたぶるシーンの凄みや炎がうねるように舞いあがり、観客に向かって火の粉が降り落ちてくる空襲シーンの観ていて震えのくるような迫力を思えば、混在の是非はともかく、啓発映画的な説明の部分やとってつけたような女子高生たちの明るさは作り手にとって仕方のない、しかし、止むに止まれぬ選択だったと思わないではいられない。なにしろ、“銃後”や“内地”“非国民”といった言葉は、今や説明を加えられなければならない言葉なのである。映画のなかほどでゆかりが伯母のことで何か聞いていないかと問うた時、古本屋の店主が「あの戦争に関しては誰もが触れられたくない過去があるんだよ。」と答える。歴史を学ぼうとし始めた若い世代を感心して見守る暖かい表情が一瞬、苦渋に満ちた曇りを見せる。彼が兵隊の時、中国でおこなった非道を思い出したことを松村達雄が表情だけでいくら見事に表現しても、映画の作り手は、終盤に至ってそのことを科白で明らかにしてやらなければならないのである。

 今の日本では、空襲の映画を若い人たちに見せたい、観てもらいたいと思えば、ここまで手ほどきして、更には明るさを心掛けたと監督に言わせるほどの気配りをしなければならないのである。日本の若者をそのようにしてしまったのは一体誰なのだろう。空襲映画を暗く惨めなものだと思い、明るく楽しい映画でなければ、観に来やしない若者たちをせっせと今も作ろうとしているのは誰なのだろう。戦争に重大な責任のある人たちを戦後もなお権力の側に留まらせたツケには、ほとんど取り返し難いものがあるといわねばならない。この作品は、圧倒的なドラマの部分とぎこちないドラマの部分が混在してしまうことによって、期せずしてそういった現在の日本の状況を最も強く訴えることになった。混在の是非について、意見の分かれる所以である。

 もし、若者に歩み寄るためにそこまでの配慮と啓発が必要とされるのでなかったなら、作り手は、この作品を女子高の夏休みの宿題としての『戦争追体験レポート』を軸に展開させるのではなく、ゆかりの伯母が発作的に走って来る車に飛び込んで見知らぬ子供を助けようとした謎と蛍子と生き別れになった謎を軸に展開させたような気がする。そのほうが作品としては整ったはずである。しかし、そのことを充分承知したうえで、敢て今井氏も早乙女氏もそうはしていないのである。黒沢監督の八月の狂詩曲の背後には、歴史をきちんと伝えられないままに昭和の時代を閉じた日本人への断腸の思いが綴られていた。この作品には、黒沢作品のような切れはないかもしれないが、断腸の思いを綴るのではなく、伝えていこうとすることへの真摯な取り組みがある。そのことは一作品としての整合性を求めるよりも立派なことなのかもしれない。しかし、そのように思う一方で、あの相撲の場面や炭鉱、空襲の炎を思い出すと、それらが最大限に生きてくるよう絞り込まれた、そう多くの意図と啓発はなくとも、じっくりと描き込まれた咲子のドラマを観たかったと思わないではいられない。

by ヤマ

'91. 8.27. 松竹劇場



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>