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『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』(Mitt Liv Som Hund) | |||||
監督 ラッセ・ハルストレム | |||||
人は幼時の母親との関係を原型とする数多くの愛情と依存の対象を持たずには生きていけないが、同時にそれは幾つもの対象喪失を重ねていくのが人生だということでもある。壊れた玩具、卒園・卒業、転居、失恋。小さなものから大きなものまで、うまく乗り越えるなら数多くのそれを経験するほどに、人の年輪は鮮やかに且つ深く刻み込まれ、美しい紋様を形成していく。丁度それは病にも似て、死に至る病もあれば、病を経ることなく頑健な身体が形成されることもないのと同じである。 母親の罹病を契機にイングマルの迎えた対象喪失は、自分の道化や小話に笑い転げてくれる母親と愛犬シッカンで、「僕が好きだったのは、ママとシッカンだけだった。」という彼の言葉を待たずとも、彼の年齢と感受性の鋭さからすれば、自閉や非行に走ってもおかしくない、かなり危険な対象喪失だったと言える。「どうして近頃僕は、あのライカ犬のことばかり考えるのだろう。」というイングマルの呟きは、そのまま彼の危険信号なのである。母親は死んだ訳ではないが、健康を損なって最早彼の悪戯や小話を笑う余裕がなくなっている。道化は悪ふざけとしてしか映らないし、小話も疲れるだけなのである。イングマルがママを元気にするつもりでせっせと話をしにいっては母親を困惑させるのも、彼が対象喪失をまだ受け止められなくて、母親の笑顔を引き出すことでそれを否定する証を求めているからであり、何度も繰り返される「ママが元気だった頃に、この話をしてあげたかった。」という呟きには痛切なものがある。 そんな彼の対象喪失の危機を救ったのが厄介払いに送られた田舎の叔父さんのところでの暮らしだったわけである。50年代とはいえ、この田舎の暮らしのなんと明るく伸びやかで楽しいことだろう。経済的には豊かとは言えず、暮らしの環境にも厳しいものがある。しかし、ここでは大人が子供と一緒になって遊ぶだけでなく、仕事や性的関心すら分け合って、共感を持って暮している。それだけのゆとりが心のなかにある。人間にとっての豊かさが暮らしの快適さや金銭の多寡とは別物であることがよく解る。都会の叔父さんのところでは「変な子」と言われ、学校でも家でも叱られてばかりいたイングマルが田舎では一度も叱られないばかりか、すっかりスターなのである。田舎で生き生きと健康に育っていくイングマルを見るにつけ、怒ると叱るは別物だと言いつつ子供を叱りつける我身を思い、所詮はゆとりのなさだと知らされる。行儀・躾といったところで結局は、そんな子になっては困るという我身の不安が心からゆとりを奪っているだけのことなのかもしれない。50年代のスウェーデンでも田舎にしか残っていないこのゆとりを現在の日本で残し得ているところは皆無であろう。時代の流れが大きなところで道を踏み外してきていることを思わずにはいられない。 イングマルの回想のなかで「この話」として深く刻み込まれている彼の田舎での暮らしは、同様に観客の心をもとらえて離さない。この田舎での生活があったからこそ、母親と愛犬との別離で既に危険な兆候を現わしたイングマルが母親の病が死の病と知らされ、シッカンが既に殺されたことを知らされても何とか乗り越えられるのである。ラスト・シーン、イングマルがボクシングの世界選手権の中継をラジオで聞きながら、サガを包み込むように抱いて安らかに眠っている姿は、彼が危機的な対象喪失をうまく乗り越えて大きく成長したことを示している。サガに包み込んで貰っているのではなく、彼が包み込んでいるのだから・・・。 それにしてもこの作品の全編を通じて流れている清潔感の何と気持のいいことか。強い感銘を受けた作品で、清潔感が作品の基調となっている映画に出会ったのはこれが初めてである。笑い、哀しみ、性、死、いずれも人間につきものの題材であるが、現代の表現においてそれらを透明感とは違った清潔感でもって描くことの困難さは、そのまま現代という時代の持つ宿命とさえ思われるところがあるのだが、見事としか言いようがない。下品で卑しい笑い、重くて鬱陶しい哀しみ、軽薄で殺伐とした性、粗末で薄汚れた死、そういった表現にあまりに馴れてしまい、確実に汚染されている現代人の感性から決して自分も無縁であり得ようはずもないなかで、このように清潔感に満ちた作品に感銘を受けると自分が救われたような気がしてくる。 | |||||
by ヤマ | |||||
'90. 6. 2. 県民文化ホール・グリーン | |||||
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