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『浮草』['59] | |||||
監督 小津 安二郎 | |||||
この作品は、小津安二郎の映画のなかでは異色の作品だと言われているらしい。極めて日常的な世界を主たるフィールドにして映画に写し取った小津にしては、旅芸人の一座というのは、かなり非日常的な舞台だと言えるし、狂言回しのような人物たちの活躍する場が適当にあしらってあったりして、しばしば笑いで、それも小津らしい微笑や苦笑ではなく、哄笑で観客を和ませてくれるのは、確かに珍しい気がする。さらに、作品の展開が場面観察的ではなく、強いストーリー性をもって進んでいくことも他の作品群に比べて目立つところである。その点では、言わば、馴染みやすい映画だと言える。だからといって、けっして迎合しているわけではない。画面の構図にしても、場面の設定の仕方にしても、間合いも含めてよく練られた科白の流れにしても、細心にして周到な配慮が行き届いている。それゆえ、どのような観客がどのようなレベルで観ても存分に楽しめる作品になっていて、そういう意味では、世の誉れ高い『東京物語』などよりも凄いのかもしれない。芸術臭を感じさせないなかに見事な芸術性を宿らせていることは、寸分の隙もない立派な芸術品であることより貴重なことのような気がする。旅芸人という演劇における通俗の窮みを題材にして、実に通俗的なストーリー展開をさせているのは、その点でいかにも意図的だとも読み取れる。 それにしても、科白の流れの持つ含蓄の豊かさはどうだろう。ちょうど三十年前、日本人はこのような言葉使いだったのであろう。今、言葉は、第一義に自己主張の手段としての役割を果し、他の役割以上にそのことが重視される傾向をますます強めてきている。それとともに、老若男女、皆人こぞって言葉が明晰になり、かつ雄弁で、テンポも速くなった。それに比べると、この作品のなかで交わされる言葉は、曖昧で不得要領で歯切れが悪く、非論理的である。また、相手に向かって言う以上に、自分に向けて発している点により重要な意味を持つという、自己主張とは正反対の役割を果たしていることが多い。まるで呪文かおまじないのようである。本来、言葉には、そういった意味や働きがあったのだ。コミュニケーション手段としての役割が突出するようになってきたのは、いつの頃からなのであろう。どうやらそれは、社会の機械化・管理化が進み、人間同士の共感に対する信頼感が稀薄になってきたことと符合しているような気がする。 人間のコミュニケーション手段には、本来、身体言語や虫の知らせといったことも含めて、さまざまなものがあった。しかし、機械に頼る生活が進むなかで、人間の持つ感応力が低下し、よりシンプルで明瞭な言葉とか数字といったものが幅を利かすようになっている。同時に言葉とか数字に対しては、その本来的な機能のなかでそれに関わる部分だけが極端に重視され、本来持つトータルな機能が奪われているのである。現在、言葉や数字が過剰な影響力を持っている一方で極端な空疎化を招いているのは、この面から見れば同根であり、それによってもたらされている本末転倒的状況というものは、枚挙に暇がないほどである。このことが象徴的に表われているのが、このわずか三十年の間の会話の有様の変貌であり、そこに窺えるコミュニケーションの解体がもたらす現代社会のさまざまな病理については、日々の各種報道のなかでもうんざりするほどに知らされている。例えば、性の解体という問題なんかにしても、コミュニケーションの媒体として言葉のみがクローズ・アップされるなかで、性からその重要な役割が奪われたことからくる病的なまでの技術化、遊戯化ということが言えるのではなかろうか。 小津の三十年前の作品がこういったことを見事に語り得るのは、彼が作品のなかで常に見据えてきたものが普通の人々のコミュニケーションの有様だからである。そういう意味では、『浮草』もけっして異色作品ではなく、極めて小津的だと言える。自分が生れた頃に撮られた映画を観て、そこに郷愁のような懐かしさを覚えるのは、記憶に基く懐かしさ以上に、人間の本来的なものを呼び起こされることによる懐かしさがあるからであろう。しかも、山田洋次のような過度の思い入れや作為が鼻についたりはしない。ここに小津作品の持つ格調の高さと普遍性の本質があるような気がする。 あと数十年したら、「目は口ほどに物を言い」とか「背中で語る」といった表現が意味を成さなくなる時がくるかもしれない。そんな時代に小津が生きていたら、彼は映画を撮らなかったであろう。我々の生きている時代のベクトルは、恐ろしいことに、そういう方向を指しているような気がする。 推薦テクスト:「帳場の山下さん、映画観てたら首が曲っちゃいました」より http://yamasita-tyouba.sakura.ne.jp/cinemaindex/ucinemaindex.html#anchor000383 | |||||
by ヤマ '89. 9.21. 県民文化ホール・グリーン | |||||
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