『グッドモーニング・バビロン!』(Good Morning Babilonia)
監督 パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ


 映画は総合芸術だと言われながらも、多くの場合、そのいくつかの要素に比重を置いていて、例えば、詩的な映像とか、ドラマティックな物語性、音楽的な抒情、あるいは、カメラ・ワークの独創性、セットや特撮の贅沢さ、更には、演技者の充実度、科白の面白さ、主題のスケール、といったものの何れかにおいて優れてはいても、その総てに卓抜しているような作品というのは、名作、傑作と呼ばれる作品群のなかでも稀有のものである。しかし、この作品は、そういった面でほぼ完璧に近いのではなかろうか。映画という表現の持つ豊饒さを堪能させてくれる。しかも、これだけのスケールを持ちながら、上映時間が二時間に満たないというのは驚きである。それでいて、決して物語がダイジェスト的な印象にならないのは、個々のエピソードやプロットが単に優れているだけでなく、短い映像に長い時間と深い意味を投影させているからであり、更には、それらを繋ぐ作品の縦糸とも言うべき、名もなき職人の物を造る者の誇りとローマ時代とルネサンスに代表される偉大な歴史を持つ民族の伝統という骨格のイメージが実に堂々としているからである。

 この作品の持つ豊饒さについて部分的に言及すると、何から取り上げて良いのか分からないし、また紙面も及ばないので、さておくとしても、最も土着的で地域的なものほど普遍的なものとなりうると言うタヴィアーニ兄弟が、アメリカ資本とハリウッドという舞台を得て、如何なる作品を展開するのかということは、アメリカに渡ったイタリア人の、一つの強烈なイメージとしてあるマフィア的なものを想起すると興味深いところである。いかにもイタリア移民的なファミリーの血の濃さといったものは、ここでも兄弟の深い絆や父子の繋りに色濃く表われている。しかし、それはマフィア的な閉鎖性と偏執性による暗さとは対照的に、映画制作という共同作業に携わる群像のエネルギーのなかで、力強い明るさでもって描かれる。それは、これまでのタヴィアーニ作品では見られないくらいの開放的な明るさである。隆盛期のハリウッドという舞台のもたらしたものか、タヴィアーニが意図したものかはともかくとして、彼らのモチーフをアメリカを舞台にしての見事な展開と言える。

 また、この作品は、幾多ある映画人の映画に対するオマージュ的な作品の一つといった側面も持っているが、その多くが、メディアとしての映画や映画を創る作業、あるいは所産としての作品群への思い入れを中心にしているのに比べて、この作品では、映画そのものの持つ魅力と可能性を讃えてオマージュとしている。具体的には、映像における光の重要さを強烈にまた感動的に訴えたあの忘れ難きシーンであり、映画制作を聖堂建築に例えるD・W・グリフィスの科白である。オマージュの在り様としてのその違いは、多くのものが、どちらかといえば、斯界の内側を向いているのに対し、この作品が、作り手であるタヴィアーニの映画人としての心意気の外に向けた宣言になっている点である。グリフィスの『イントレランス』の実写を挿入している点も含めて、並々ならぬ勇気と自信が窺えるのだが、思わせ振りで韜晦に満ちた作品を多く見掛けるなかで、それは、実に清々しい宣言である。その潔さがあればこそ、兄弟が戦場で共に瀕死の状態で再会して、這い蹲いながらも、子供達のために互いの最期の姿をカメラに収めようとするラスト・シーンが、タヴィアーニ兄弟の映画に賭ける思いと重なって美しく感動的なのである。
by ヤマ

'87.10.18. 名画座



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