『カルメン』(Carmen)
監督 フランチェスコ・ロージ


 『トラヴィアータ』を観た時、オペラをそのままに生かした映画スタイルに新鮮な驚きとともに魅了された。その『トラヴィアータ』の美術・衣装の充実ぶりによる贅に満ちた絢爛さとは対照的に、『カルメン』はロケーションをふんだんに採り入れることによって土臭さと力強さを得、そのモチーフにふさわしい出来栄えである。また、科白を一切用いないスタイルに対しては、もう少し柔軟な発想を示すことでドラマ的要素を大きくすることにも成功している。それでいて、本来のオペラ的な味わいを損ねていないのは科白部分に対する節操のある抑制のためで、脚本家の立場からすると、つい書き過ぎてしまいがちなだけに、流石はトニーノ・グエッラだと感心させられる。
 それにしても、この映像とともに聴く歌の何と素晴らしいことか。いくつかの耳に馴染みの深い曲も、いまだかつてこれほどのインパクトをもって聴いた覚えがないし、カルメンとドン・ホセの掛け合う歌の迫力は、まさに彼らの運命が逃れようもない宿命であると感じさせるに足るだけの緊張感をもたらす。これはオーディオやテレヴィジョンでは不可能な生のオペラの醍醐味に近いものである。また、一般に立体表現である舞台は、スクリーンに投影する映画よりも強い空間感覚をもたらすが、舞台はそれ自身が持つ空間的スケールに制限されるので、それを越える空間表現が困難であり、その点では映画のほうが遥かに優れている。この作品は、そういった映画的特性を充分に生かし、生のオペラでは表現し得ない空間的広がりをロケーションによって獲得し、物語のドラマ性の強化とともに作品のスケールを大きくしている。『トラヴィアータ』の新鮮さがオペラそのままの映画化にあったとするならば、『カルメン』はオペラを屋外へ持ち出したところが魅力である。
 人物造形では、なんといってもジュリア・ミゲネス・ジョンソン演ずるカルメンが素晴らしい。奔放で猥雑でありながら、下品なだけではない、妖しく激しい女を生き生きと演じている。カルメンが自身と自由を徹底した生涯を貫き得た強さは、ジプシー女なればこその、歌と踊りの才と恋の炎のみを自らのアイデンティティーとし、他の一切を拠りどころにしない、失うものを何も持たない者の強さである。それに引き替え、ドン・ホセはあまりにも失うべきものを持ち過ぎていた。彼の代償の大きさがそのままカルメンへの執着となる。もはや悲劇でしかないのだが、カルメンが美しいのは、恋に奔放でありながら、そういった状況であっても、ドン・ホセが自らの選択として去るまでは、あくまで彼との恋に筋を通し、一旦別れると、自らの気持に正直に行動し、ドン・ホセから命を盾に迫られても自身への忠実さを捨てないという彼女の生き方にけじめがあるからである。タロット・カードによって予知し、覚悟ができていたとはいえ、カルメンの最期の姿は、凛凛しく潔い。
by ヤマ

'87. 6. 4. 梅田コマゴールド



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