『アリオン』
監督 安彦 良和


 ギリシア神話に語られるエピソードをかなり忠実に踏襲しながら、いわゆるギリシア神話の世界とは全くイメージの異なる、ひとつの確固たる世界の創出に成功していて、観ている側は、神話との相同性とこの作品のオリジナリティとのなかで、それぞれを見極める作業にわくわくしながら取り込まれていく。神話を源としながら、これほどに作り手の作家性を感じさせる映画(アニメ)は珍しく、新鮮であった。まず、タイタン族の神々のキャラクターが面白い。神々が神というより人間に近いキャラクターとして描かれるのは、ギリシア神話の世界であるが、ギリシア神話の神々が人間に親近感を抱かせる形で人間的に描かれるのに比べ、『アリオン』では人間と同じ小心さ、傲慢さ、身勝手さ、貪欲さを持った存在として描かれるのみならず、人間と対立し、戦い、支配しようとする存在として描かれている。それは丁度、神々を優越する支配者層として、人間を立ち上がった民衆とする階級闘争であり、アリオンは、革命のヒーローなのである。ギリシア神話には、神々と人間の対立の構図は、あからさまには出てこないが、プロメテウスが神々の掟を破って人間に火(知恵)を与えたという逸話を変えて、波動砲のような強力な大砲という武器を与えたとし、鮮やかに闘争のドラマに転換している。そして、神話自体の持っている人間的リアリティのドラマに加えて社会的リアリティをも持つドラマとしている。キリシア神話にはない社会性、恐らくそれは未だ帝政を経験しない直接民主制下の時代の神話ゆえなのであろうが、そこに社会性を加えて、なおかつ神話のエピソードを活かし切り、更に単なる闘争のドラマではなく、アリオンのビルドゥングス・ロマンとして描いた語り口はなかなか大したものである。
 ところで、こうしたギリシア世界以後のテーマをギリシア神話の世界に持ち込んだことで思いがけない発見があった。それは近親姦タブーの問題である。遺伝学上の危険性という理由づけとともに、このことがタブー化していない社会は少ない。しかし、ギリシア神話の世界では、タブー化どころか極当然のこととして現われてくる。このことが以後の世界でタブーと化してきたのには、次の二つの理由があるのではないだろうか。一つは、系譜の錯綜が世襲の序列を脅かすことによる統治者の継承序列の混乱への危惧。もう一つは、統治者の純血を守ろうとして行なわれた近親婚による異常出生という現実的弊害である。どちらも統治=支配のヒエラルキーが社会的に発生してきてからのものだと思われるし、そのタブーの存在は、このような構図を持つ社会において、より顕著に見られるという気がする。
by ヤマ

'86. 3.31.  東宝宝塚



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