『春の鐘』
監督 蔵原 惟繕


 今、盛んに語られている物の豊かさの代りに失ったとされる心の満足、そして、その顕著な現象としての家族の崩壊、夫婦間の溝の問題。この作品でも妻の浮気遊びと夫の不倫の恋が、それぞれ今風の浮気とちょっと古風な恋として描かれている。
 この通俗的なドラマに終ってもおかしくない物語を決して堕としめず、最後まで基調を保った情感豊かな佳作に仕上げたのはたいしたものである。それを果たし得た第一の要因は、映像がしっかりしていることによる。ゲームの性の背景としての秘密クラブ風の集まり、ちょっと古風な不倫の恋に相応しい古都奈良。華やかな洋装としっとりとした和服、そして陶器。これら物語を浮び上がらせる道具立てが、実に丹念に且つ自然に、また対照の効果を挙げながら、きっちりと描き込まれている。そのために物語の筋立てに奥行と厚みが与えられ、物語が物語たり得ているのである。
 加えて、妻を演じる三田佳子の存在感、演技力も忘れてはならない。聡明であり、且つ愚かな女の哀しみと妖しさを実によく演じている。脇役絡みのエピソードの取り込み方も過剰にならず、不足なく、決して本筋を見失わない。さらに、ベッド・シーンにおいても、昨今の大胆なものに比べると驚くほど抑制したものでありながら、その美しさと細部のリアリティ、加えて科白の言葉の妖しさとで情感ある官能美に到っている。男はちょっと気障で饒舌に過ぎたきらいがあるが、それとて許容の範囲内で、この類の物語にありがちな、女に比べて格段に無様な姿を露呈することなく、それなりの気概を持って貫く。
 性愛・恋においては、やはり男は女に到底かなわないという真理は、この作品においても同じではあるが、それに立ち向かった男の精一杯の突っ張りは認めたく思う。だが、それでもやはり男は女たちにはかなわない。妻は心神失調という男には持ち得ぬ切り札をきり、女は自分の意志で去っていく。か弱かった娘から確たる女に成長して…。男には、取り戻したものも、得たものもない。ただ取り残されているだけである。ラストで女たちの服装、洋服と和服が入れ替わっているのがなんとも印象深い。
by ヤマ

'85.12.17. 東宝



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