『秋日和』
監督 小津 安二郎


 昭和35年の映画となれば、今から25年前の作品である。時代の流れのせいか、やけに展開が悠長に思われる。また、現在に比べて登場人物の人間像に屈折したところがない。敢て言うならば、子供っぽい。穏やかな日常のなかで、時にコミカルに、時にしんみりと・・・全く毒がなく、さりとて夢があるわけでもない、このような作品は、現代ではいささか物足りないところがある。今や事件らしい事件の何一つ起こらない、極めて日常的な世界を作品に仕上げることは殆どない。TVの世界でもいわゆるホーム・ドラマは、姿を消している。言わば、刺激過剰の時代なのである。そのなかで僕らは、少なからず不感症気味になっている。そういう今、このような作品を味わうことには、それが公開された当時以上の意味があるのではなかろうか。

 当時といえば、ちょうど高度成長時代に入っていった頃である。それは僕らからすれば、気急わしく慌ただしい時代だったような印象がある。ところが、画面から受けるそれは、やけに穏やかでのんびりしたものだ。そして、よく言えば人情厚い、僕らからすればおせっかいな人達ばかりが出てくる。「そうね。」「そうだよ。」「いいわよ。」「いいよ。」(私のほうはいいという "いい" )といった自己主張型とは正反対の言葉が会話のなかに何度も出てくる。そして、誰もかも自分のために自分が行動するといった意識=行動パターンを持たない者たちである。誰かのための行動は認められるが、当事者は行動すべきではないのである。いろいろな面で今は失われつつある、いわゆる日本的なものが随所に顕著に現われていて面白い。しかし、その多くは、僕には違和感のあるものだ。

 ところで、小津作品に出てくる男たちは、何故に皆が皆ぼんやりしていて歯がゆいような男たちなのであろう。女たちの個性的なのに比べ、常に男達は凡々としていてパッとしない。また、この作品を観ていて気になったのが、役者たちの演技が下手なことである。彼らの大半のその後を既に知っているために、知らず知らずそれと比較するからそう思うのかもしれないが、科白も棒読みに近いものがいくつかあった。
by ヤマ

'84.10.23. 名画座



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