天使で悪魔
脱獄者たち
その出会いは偶然だった?
その出会いは運命だった?
その出会いは……。
「振り切った、か」
ホッと一息。
青空の中で太陽は燦々と輝いている。これだけでも外に出た意義はある。
ここはブラヴィル近郊。潜伏していたブラッドメイン洞穴はブラヴィルの衛兵隊が乗り込んで来た為、いられなくなり、脱出。
その際に一緒に脱獄した面々とは離れ離れに。
……まあ、別に仲間ではない。
そこは問題ない。
「南に逃げるしかないな」
南方都市レヤウィン。
あそこは治安が悪化しているらしく潜りこめる場所はある。そもそも他の脱獄した連中も当初の予定としてレヤウィンを目指していた。
北からは帝国軍が追撃の為に南下しつつある。
少し急ごう。
私は街道を避けて歩き出す。
街道?
……ありえないだろ。
私は逃亡者。
私は脱獄者。
私は……。
事の発端は2日前。
ユニオの預言通り( 暗闇の中での再会参照)、生き延びていたアイスマンが帝都の地下監獄を襲撃した。
従えるは黒衣の集団。
圧倒的な戦力の前に帝都地下監獄は陥落。
その際、壊れた牢から囚人達が脱走した。まあ、当然の事だな。
黒衣の襲撃。
囚人の反乱。
帝都は混乱した。
私は脱獄した。
結局のところ、どれだけの囚人が脱獄したかは分からない。
あの混乱の中、私はアイスマンと合流出来なかった。帝国軍が出張って来たからだ。
アイスマンと黒衣の集団は下水道に逃げ込む、帝国軍は下水道に追撃。
私は逃亡した。
時間稼ぎをしてくれている、一方的な考えではあるが、私はそう考えた。
私はそう……。
逃亡した先はブラヴィルの西にあるブラッドメイン洞穴。
そこには私の他に4名の囚人が逃げ込んでいた。
シェイディンハルの汚職衛兵隊長、汚職衛兵、帝都で権勢を誇る公爵家のドラ息子が2人(親類ではなくそれぞれ別の公爵家の息子)
の計4名だ。
仲間の意識はないものの、役には立つ連中だ。
何故?
答えは簡単だ。
どこから強奪したのかは知らないが武器の類があった。日用品も。連中も馬鹿ではない、一人でも頭数増やし、武装させた方が生き
延びれる可能性が高くなる。もちろん自分以外の奴が死んでも気にもしない薄っぺらい仲間意識。
私は剣を貰った。
剃刀を借りて髭と剃る。……剃刀が下手なので顔が傷だらけとなったが。
酒を飲み、食べ物を食べる。
しばらく休息だ。
翌日。
ブラヴィル都市軍が洞窟を襲撃した。
ブラヴィル市民が通報したに違いない。もちろん腰を据えてこの洞穴に立て籠もるつもりは誰の頭にもなく、追われる身なのは承知し
ている。すぐさま洞穴を脱出し、南下した。
目指すはレヤウィン。
私が牢の中で腐っていた間に、レヤウィンでは『深緑旅団戦争』が勃発。
街に戦火という深い爪跡を残したらしい。
治安はまだ回復出来ていない。
レヤウィンなら潜り込める隙間がある。
レヤウィンを目指す。
もちろん逃亡の際に他の脱獄囚達とは散り散りになった。
しかし。
しかし、私にはレヤウィンになど興味はない。とりあえずの目的地でしかない。
最終的な目的地。
それは私達の村グレイランド。
それは……。
「ようやく半分か」
地図を広げながら森の中を歩き、呟く。
もう少しでレヤウィン領に入る。
レヤウィン領に入ればブラヴィル都市軍は追撃出来ない。ブラヴィル伯の管轄ではなくなるからだ。囚人追討の為とはいえ勝手
に境界線を侵す事は、様々な問題を引き起こす要因になる。
それは心得ているはず。
ブラヴィル都市軍は追討して来ない。
ただまあ帝都から出張って来ている帝国軍にはこの理屈は通用しない。のんびりしている場合でもないか。
ただ……。
「ウォーターズエッジ、か」
地図によると小さな村がある。
レヤウィン領の小さな村だ。ここを越えない限りレヤウィンには入れない……事はないが、村を通るのが最短ルート。
しかし小さな村とはいえ痕跡を残すのはまずい。
「ふむ」
私が牢の中で腐っている間に、レヤウィンにはブラックウッド団とかいう何でも屋が勢力を誇っているらしい。
脱獄囚の討伐は帝国に対する貢献。
ブラックウッド団が出張ってくる可能性もゼロではない。
痕跡は残すべきではない。
私は地図をしまう。
……村を大きく迂回しよう。
森を進む。
険しい森ではないが、ついこの間までは危険な森だったらしい。
全ては皇帝崩御に起因している。
皇帝の不在は情勢を不安定として、悪化させる。レヤウィンではそれが特に顕著だった……らしい。私が牢の中で腐ってる間の出来事
なので、当然ながら昨日まで知らなかった。教えてくれたのはブラッドメイン洞穴で一緒だった汚職衛兵隊長。
レヤウィンではしばらく前まで賊が跋扈していたらしい。
討伐されたようだが。
ともかく、今は治安は正常。
森はさほど危険ではない。……賊はね。人の脅威はなくなったが、深緑旅団が率いたトロルがこの近辺を徘徊しているらしい。
とりあえず今のところは遭遇していない。
「……」
森の中は静寂に包まれていた。
虫の声。
鳥の声。
植物の匂いが私の灰に満たされる。
監獄にいたら味わえなかった、人として自然の感触。アイスマンには感謝しなければ。
しかし……。
「あの連中は何者だ?」
黒衣の集団。
地下監獄を襲った数はわずか30名。
奇襲ではある。
奇襲ではあるが、普通はその程度の数で地下監獄の陥落は無理だ。それだけ圧倒的な戦力を保持していた事になる。
至門院の残党?
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
一体何者だろう?
「……あれは……」
私は物陰に潜み、事の成り行きを見守る。女性と男性が争っている。1人は共に脱走した囚人だ。確かウルリッチ……なんとか。
どこかの街で汚職をした衛兵隊長らしい。
女は知らない。
だが推察するに、賞金稼ぎか何かだろう。つまりは追っ手だ。戦士ギルド、ブラックウッド団も動いているらしい。
敵だらけだ。
既に汚職衛兵隊長の部下の、汚職衛兵は切り伏せられて地面に転がっていた。
死んでいるかどうかは分からない。
しかし地面に広がった血を見る限りでは死んでいるか。
「……馬鹿な事は考えるな」
自分に言い聞かす。
ウルリッチを救う義理もない。かといってあの女を助ける義理もない。双方共倒れになれば、当面は追っ手が1人消える。つまりあの
女が死ねばその分賞金稼ぎが1人減るわけだ。
しかし。
「何だ、この感情は?」
柄にもなく胸が高鳴っている。
あの女に対してだ。
何故?
何故?
何故?
よく分からない。
こうしている間にも戦闘は続いていく。ウルリッチは叫ぶ。都合の良い、弁証法を叫ぶのだ。
「お前の所為で、お前の所為で俺はキャリアを失ったっ!」
「私が原因なわけ?」
「お前の所為でぇーっ!」
「はふ」
ウルリッチは叫び、剣を構えて踏み込んだ。
見る限り女の方の技量の方が遥かに上だ。しかし戦闘には不特定多数の要素が絡むのも事実。実力=勝利ではないのだ。
「ちっ」
舌打ち。
それから刃を抜き放つ。とんだ馬鹿者ではあるが、私は介入するつもりだ。
それも女の方の味方。
……どうかしてるよ、本当。
タタタタタタタタッ。
物陰から駆ける。ウルリッチ、女は双方気付いていない。私はウルリッチの真横に肉薄した。
「はぁっ!」
キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンっ!
狙いは剣。
狙いは違えずウルリッチの剣を弾き飛ばした。
「……お前は……っ!」
「ふっ」
冷笑して私は突き飛ばす。
勢いよく倒れる汚職衛兵隊長。私はそのまま剣を構え……。
「殺すなっ!」
鋭い女の声。
有無を言わせない響き。
この女、只者ではない。凛とした響きの中に、断固として退かない意志の強さを感じる。私は構えたまま、硬直。
女の威に打たれたと言ってもいい。
「毒蜂の針」
何かの魔法を汚職衛兵隊長に叩き込む。
びくん。
体を二度、三度震わせてそのままウルリッチは動かなくなる。……麻痺の魔法か。女は身動きの出来ない男を縄でグルグル巻きにし
ていく。麻痺の魔法は体の動きと言語を封じるだけ。思考力は生きている。
憎しみの視線をブレトンの女に向けるものの、女は涼しい顔。
……なかなか出来るな、この女。
「で? あんたは誰?」
「……マラカティ」
「そう、よろしく。私はフィッツガルド・エメラルダよ」
「……」
グルグル巻きにして動きを封じた後、余裕の表情で私に向き直る。
余裕。
威厳。
冷静。
全てを兼ね揃えている。
残酷さも持っていると思った。口元に浮かべた冷笑は、私を即座に殺すだけの冷酷さを秘めている。そして、絶対的な自信。
人に使われる女じゃない。
人を従えるべき女だ。
しかし今の私にはそんな事は当然ながら関係ない。どう切り抜けるかだ。
……助けるまでもなかったな、実際。
この女ならどんな逆境も切り抜けるだろう。
チャッ。
女は剣を構えた。
淡く光る剣。おそらく何らかの魔法がエンチャントされている魔法剣だろう。それに対して私は錆びの浮いたロングソード。
武器の性能の面では圧倒的に不利だ。
「……」
「……」
私も油断なく構えながら気付く。
女の顔から冷笑が消えていた。間合を保ったまま睨み合う。
「……」
「……」
睨みあったままだ。
何故魔法を使わない?
魔法を使うモーションをした際に私に切り込まれるとでも思っているのだろうか?
買い被ってくれているなら嬉しい事だ。
本当に何者だろう、この女。
発するプレッシャーが並じゃない。
かつて相対したブレイズのキルレインなんか比べ物にならないぐらいに強い。……世の中広いな。帝国最強のブレイズよりも上がいる
のだから。もちろん私はブレイズ3人を下した。この女に負けてやる気はないがね。
「はあっ!」
「やあっ!」
同時に動く。
キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンっ!
キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンっ!
キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンっ!
交差し合う刃。
何度か交えるものの、数度斬り結んでも勝負はつかない。実力は伯仲していた。相手は刃を横に薙ぐ。
ひゅん。
刃は空を斬る。
私は大きく飛び下がり回避した。女は追撃の構えを見せるものの、止まる。私が切っ先を女に向けたまま後退したからだ。
大胆な攻撃に見せて、慎重さも兼ね揃えている女の太刀筋。
ますます油断ならない。
剣の腕ではほぼ互角かもしれないが……私の方が分が悪い事が2つある。
1つは剣の質。
このまま切り結べば断ち切られる可能性が高い。向こうのは高性能の魔力剣、強度の面でも比べ物にならない。
そしてもう1つ。
それは体力だ。
監獄の中で筋トレはしていたものの、持久力は大幅に落ちている。栄養状態も悪い。
持久戦は分が悪すぎる。
「……」
「……」
双方、息を整える。
これは疲れる戦いになるぞ。相手は私に匹敵するだけの腕がある。
腕だけなら、太刀打ちできる。
腕だけなら……。
「はあはあ」
私は息切れしていた。
やはり体力が大幅に落ちている。これはまずい。……逃げるか?
しかし逃げ切る体力もない。
そもそも背を見せたら最後、魔法を叩き込まれるのは必至。切り込む以外に他にない。生き延びるには短期決戦だけだ。
「……」
「……」
相対する。
それはつまり相手の動きを見て、剣を見て、眼を見る事でもある。相手の眼の動きは戦闘において大切だ。
眼を見ていると不思議な感覚に陥る。
懐かしいような、切ないような。
そんな不思議な感情。
殺してはいけない、戦ってはいけない、そんな感情が過ぎる。
殺しては……。
「……やめだ」
「はっ?」
私は自ら剣を引き、鞘に戻す。女は唖然としてはいるものの構えたまま。
このまま斬られる?
……ありえるな。
その時は笑うとしよう。自分でも馬鹿な事をしているとは思ってる。自ら剣を引くだと?
普通ならありえない愚かさだろうよ。
女は剣を向けたまま問う。
隙は微塵もない。
「マラカティ。何して捕まったわけ?」
「反乱さ」
「反乱?」
「知らなくて当然だろうな。帝国は情報を統制している。反乱などなかった……そういうわけだ」
「ふーん」
「頼みがある。……どうか見逃して欲しい」
「それ笑える」
含み笑い。
……だろうな。どんな大義名分並べたところで私はただの罪人。相手が知り合いならともかく、見ず知らずの相手。立場が逆だとし
ても、私も冷笑するだろう。逃がすなんて馬鹿げてる。
女の素性?
帝国軍ではないだろう……いやー……それはそれでありえるか?
ユニオが実は元老院直轄の捜査官だった。女が帝国の関係者だとしても不思議ではないが……直感的に、違うと思う。
笑みにはどこか権力に対しての嘲りがある。
命令できるのは自分だけ。
そんな感じだ。
「マラカティ。どこかで……会った事ある?」
思い掛けない言葉だった。
私自身も妙な感じ。
この女はどこかで会った気がする。いや会った事はないのかもしれないが、どこか懐かしい感覚がする。
この感覚は何だ?
「懐かしい感じがするのか? だとしたら、私も同じだ。私も聞く。君は……どこかで会った事はあるか?」
「さあ?」
「だな。私にも分からんよ」
「ふふふ」
女は剣を私は収めた。
私には今だ過去の記憶はない。失われた過去関係の女だろうか?
……。
それは、ないか。
この女は二十歳前後だろう。
私がどれだけの間投獄されていたかは分からないが、十年ぐらいは投獄されていたはず。何故なら、ヴァレン・ドレスは出所直前に
闇の一党に暗殺されたからだ。帝都動乱を計画したのは奴が逮捕されてから日が浅い。
十年か、十一年か。
いずれにしてもこの女は当時一桁台の年齢。
面影が記憶に色濃くあっても、目の前と女性とリンクする事はまずない。
女の体から殺気が消えていく。
「見逃してくれるのか?」
「今のところはね。……私が見逃したところで、誰かに殺されるのはー……私の所為じゃないわよ?」
確かに。
追討は続いている。
出会う追っ手全てが見逃してくれる事なんてまずない。彼女の気まぐれは奇蹟なのだ。
「感謝するよ」
「何くれる?」
意地悪く彼女は笑って見せた。
私は無一文。
あげるモノは何もない。
「……」
あるには、ある。
指に嵌った深紅の指輪。今まで仲間にも触れられるのを極端に嫌った。何故かは分からないが、私は大切にして来た。
たぶん過去に関係ある代物だ。
なのに。
なのに、私はこれを譲るべきだと思っていた。
彼女に譲り渡すべきだと。
この指輪を、彼女に。
そして……。
「ほら」
「ん?」
指輪を投げた。彼女は受け取る。
どれだけ高価なものかは分からないが、彼女が嵌める事は叶うまい。この指輪は私以外には嵌められない。
何らかの魔力に阻まれるのだ。
アイリーンの指にも嵌らなかった。
「それを君にあげるよ。私の宝物だ」
「宝物」
「君にあげるよ」
「でも……」
「私はおそらく追討に前に果てるだろう。だから、君に譲る。君なら私の宝物を無下には扱わないだろうと思ってね」
「ふむ」
形見?
そうかもしれない。私は自分の人生を諦めつつある。逃げ切れないのではないかと。
でも、だからと言って指輪を渡すか?
この女は不思議な女だ。
女は指輪を嵌めようとする。
「悪いがフィッツガルド・エメラルダ。その指輪は私以外には嵌められ……」
「似合う?」
「……そんな馬鹿な……」
「はっ?」
指輪を嵌めて見せる。私はは驚愕した。
深紅の指輪は女の指で光っていた。
「で? 嵌められないって何?」
「……気にしないでくれ」
「……? まあいいわ。……ところで、その……愛称で呼んでもいいわよ。フィーって呼べば?」
「フィー」
「な、何?」
なんだなんだこの感情?
照れ臭い感情が湧き上る。恋愛感情とは違う、別の愛おしさを感じる。
「……マラカティ」
「……フィー」
奇妙な親近感を覚えた。
そうだな。もしかしたら遠いどこかで繋がっているのかもしれない。私達は、遠いどこかで血が繋がっているのかもな。
ははは。
ありえないか。
もしも私の血縁、つまりは妹だとしたらこの女も皇帝の遺児という事になる。
まさかな。
そんな事はありえない。
「そ、そろそろ行けば? 追討が来るわよ?」
「そ、そろそろ行くとしよう」
お互いにぎこちない。
私が妙な感覚を感じているように、彼女もそうみたいだ。
視線を交差。
お互いに穴が開くほど見つめ合う。
「では」
「ええ。さよなら」
そして私は南を目指す。
そして私は……。
今回の話はメイン編の『逃亡者たち』の対の話です。