男性は歳を取ると、段々とオシッコの出が悪くなる。女性には前立腺はないので、こういうトラブルはない。
かなり悪化して、殆ど出ない程になった。近所の総合病院(公立昭和病院)の泌尿器科に行ってMRIで診てもらったら、「前立腺が大きく腫れています。処置としては薬か手術かです」と言われた。その時は、手術は怖い、いやだということで、ホルモン剤にしてもらった。男性ホルモンを少なくして相対的に女性ホルモンが多くなり、半年ほど服用すると、約割は前立腺が小さくなる。それ以上服用するのは禁止されている薬だ。排尿も楽になり、他の薬に変えて何とか普通の生活には支障がない程度になった。そのため、薬とその量を書いた紹介状を渡されて「近所の泌尿器科クリニックに行って下さい」と、個人医院に変えられた。この件を少し詳しく述べておこう。
 
 公立昭和病院の歴史は古く何十年も昔からあったのだが、建物も古く、患者数はさほど多くはなく、普通だったと私は思っている。しかし、平成22月に全館(本館、南館、北館など地上階、地下階)が、耐震構造の立派な建築の病院になった。優秀な医師団、最新鋭のMRI 台、CT 台等々、あっという間に患者数は激増、とても一人一人の患者に時間を掛けて診る事が出来ない程になってしまった。そのため病院側としては『ある程度診療のめどが付いた患者は近所の個人医院に引き渡す』という方針に切り替わった。もちろん逆の場合もある。個人医院では手の付けられない患者は紹介状を持って来院する。
 これは全科共通の方針転換である。このため私も近所の個人医院に移されたわけである。
 
 私の話に戻そう。半年ほど通ったが、<もう治った>と思い、薬を勝手に止めた。個人医院のため医療費が高かったのもやめた一つの理由だろう。
 これがよくなかった。再び悪化。まるでチョロチョロ。それでいて尿意はない。尿意を感じてトイレに行っても、チョロチョロ。
 再びその総合病院に行って診てもらったら、尿意は全くないのに看護婦さんがカテーテルを突っ込んで「横になってください」と言われて、その通りにすると、出るわ、出るわ、びっくり。カーテンの向こうにいる主治医の先生に「800cc出ました」と、目盛りを見ながら言った。先生に呼ばれて行ったら、「この書類を15番窓口に提出して、すぐ採血し、戻ったら前の廊下で待っていてください」と言われた。若い先生だ。30分ほど待っていたら、呼ばれて「腎機能がかなり悪くなっています。このままでは危険です」。<やっぱり>、がっくりである。放っておくと腎不全となり、ひいては死ぬか人工透析しなければならなくなる。速攻で僕は叫ぶように言った。「先生、手術して前立腺を切除してください!」
 先生は以前にMRI検査したときの画像をコンピューターに出して、「こんなに前立腺が膀胱にまでせり出していたんだから、あのとき手術しておけば、こんなに慌てなくてよかったんですよ」と、医者らしい平静な表情で言った。
「一番早く出来るのはいつでしょうか」というと、手術の日程が書いてある表を見て、「1月31日です」
 すぐ手続きが始まった。これが今年2020年1月のことである。30日に入院、31日に手術。
 
 以上の記述にはかなり飛んでいる部分があり、明瞭なステップを踏んでないので、ここで追加をしたい。
じつは私は胃腸、肝臓が悪く、長い間公立昭和病院の消化器内科に通院していた(現在も)。肝臓は正常になり、胃は慢性胃炎であったが、「歳相応」という事で年に3〜4回の診断で様子を看るという予約通院をしている。2年前に主治医の先生が替わった。この時の楽しい会話。「今度の予約は3ヶ月後ですが、私は病院を変わって、ここには居ませんが、次回から窪田さんを看てくれるのは美人の女医先生になります。病院というのは、あまり来たくない場所でしょうが、美人女医先生に会えるのを楽しみに来てください」と笑顔で仰った。
 
 本当に美人だった。こんな美人先生なら会って話をするだけで胃炎なんか治ってしまう(^_^)。
今年2020年1月当初、予約があって、お会いした時、コンピューターに出した血液検査の結果表を真剣な顔をして見ながら「窪田さん、腎臓がおかしいです。すぐ泌尿科に行ってください」と、目の前で泌尿器科に電話をして診察するよう予約を取ってくれた。すぐ、その足で(同じ1階であるが、大きな総合病院であるため200m以上離れている)泌尿器科に行ったのが上述の<再びその総合病院に行って診てもらったら、尿意は全くないのに・・・>の部分である。これで正確に文章がつながった。
 
 手術のとき、私は死を経験した。麻酔の女医先生が「大きく息を吸ってください」というので、大きく息を吸ったのは覚えているが、スッと意識がなくなった。あとは完全に意識不明。あれが “死” なんだ、と悟った次第である。
 
「窪田さん、窪田さん、手術は無事終わりましたよ」と言われて、顔をポンポンと叩かれて、うっすら朦朧とした目を半分開けたが、状況の判断が付かない。<何なんだ、これは>と思っていると、「別の部屋に行きますよ」と、手術室から出て行った。この辺でやっと自分の置かれている立場が分かった。<前立腺切除の手術をしたんだ>
 猛烈に吐き気がして、胃の中のものが出てきたが、<こんなところで吐くわけにはいかない>、口まで出てきたものグッと飲み込んだ。ちょうどそのとき家内が入って来た。看護婦さんがなにやら家内に説明をした。もう一度吐きそうになったので、「吐きそうだ」というと家内が、すぐにトレーを僕の口の下に置いたのが分かったので、思いっきり吐いた。スーッと気分がよくなり、あたりが冷静に見えるようになった。
 心電図を取るケーブルや血圧を測るケーブルがコンピューターらしき装置に繋がれている。点滴もしているので、右腕は動かないように縛りつけてある。足のすねを揉む装置も動いている。これは自分の病室に戻っても、まだ着いていたので、後で聞いた話だが、血栓が足先に行くと壊疽になる可能性があるのでモミモミしているのだそうだ。足は第の心臓と言われる意味がよく分かった。
 
 何時間家内が付き添ってくれていたのかは分からないが、看護婦さんが来て「もうお帰りになっていいですよ」と、家内を帰した。次の日にようやく自分の病室に戻された。点滴と、モミモミ装置、それにカテーテルは突っ込まれたままだ。おしっこをする時、このカテーテルを見ると、血尿が出ている。しかし、これは2回ほどで、あとは血は見えなかった。取替えに来た看護婦さんも「ああ、血尿はないですね」と言っていた。
 気分が悪いとか、痛みなど全くなかったのは、多分点滴の中に痛み止めが入れてあるのだろうと思った。次の日、担当医が来て「凄い量の血が出たので、今は貧血状態になっているので、2日間はゆっくりと寝たままにしてください」との説明があった。
 三日後にやっと手足についているモミモミや点滴、おしっこカテーテルも外された。身体が自由に動くようになったのでホッとした。自分でトイレに行って用はたせる。二日後に退院。結局、入院〜退院まで一週間ということになる。
 いい先生や白衣の天使さんたちだった。「一週間後に尿を出来るだけ溜めて来てください」との指示で帰宅した。一週間後の予約時に指定どおり行ったら、特別な検査をするトイレでおしっこの出を検査して「完璧です。よかったですね。これで終わりです。もう来院する必要はないです」と言われて終了。これが2月13日。
 タイミングが良かった。この頃だ、武漢ウイルス肺炎が世界中に伝染したのは。現在もこの感染症は世界に蔓延している。