東北地方の人は東京の玄関は上野だと、よく耳にする。僕は東京駅だ。岡山から瀬戸号という寝台車でおよそ12時間かかって東京駅に降り立った。兄が迎えに来てくれていた。都電に乗って春日町まで来て、戸崎町(現在は春日町に合併されている)という歩いて2〜3分のところに一軒の家があり、2階の四畳半を借りていた。下宿ではない。賄い(まかない)は付いてなく、部屋を借りていただけである。娘さんと、その母親、お婆ちゃんの三人暮らしで、母親は若く見えたが寝たきりである。印象は何かしらワケありの感じだった。
 まあ他人(ひと)の穿鑿(せんさく)はやめにして自分の事に戻ろう。翌日、神田に一人で行った。電機大学も近いし、本屋さんがズラリと並んでいる。
 真っ先に行ったのは辞書で有名な三省堂書店である。正面玄関の両側に直径50センチ程の木の柱がドーンと立っている。見上げて、< ワー、これが三省堂か!>、身体がゾクゾクッとした。
 思わず左側の柱に抱きついて・・・今風に言うとハグか・・・<ついに東京に来た、やるぞ!> 決意を新たにした少年の胸は躍った。中に入って三階に直行。理工学書は三階となっていた。階段も床も木材である。ギシギシと音がする。のちに立派な鉄筋コンクリートの建物になるまで、こうだった。
 真っ直ぐに物理学書のコーナーに行く。相対性理論を探す。ある、ある、中身を見るとどれも難しそうだ。難しい事は高校時代に何十冊も読んできているから分っているが、一般相対性理論となると、ワケの分らない数式ばかりが目に付く。
<一生かかっても、これを理解すると誓ったのは誰だ!>と、もう一度自分に発破をかける。・・・
 何十年後か、この棚に拙著が何冊も並ぶとは誰が想像できただろう。本人のたかし少年は夢にも思っていなかったし、相対性理論は正しい理論だと信じていたからだ。
 結局、この日は何も買えなかった。どの本も高価だし、買えるだけのお小遣いもない。電大の図書館にはあるかも知れぬ。それを期待して神田の街をうろついた。神田神保町から秋葉原は徒歩では遠いが、二十分以上かかっただろうか、歩いて行った。
 秋葉原も僕にとって天国のような場所だ。
何十年後か、アンプの部品を買っていたら、後ろの方で「あれは窪田先生だよね」とひそひそ話が聞こえたり、狭い通路を歩いていると、知らない人から「あっ、窪田先生、いつも雑誌を拝見しています」と挨拶されたりした。窪田少年がのちに、こんなになるとは誰も考えられない。その小さな店々を見てまわった。