世界の著名な天文台は当然のことながら、すべて同じ観測結果であった。5日後に小惑星帯に突入することは、あっという間に世界中に広まった。新聞、テレビ、ラジオ、雑誌等一斉にこれを報道し、地球への影響はないのかどうか議論され始めた。
 空気は汚染され、海は汚れ、森林伐採による人間と動物、植物の共存に翳りも見え始めた地球に、これ以上外部からの影響があったらひとたまりもないとの悲観論から、遠く宇宙での出来事など大した事ではないという無関心派まで、こういった有事の際には、決まってさまざまの人間模様が浮き彫りにされるのが常である。
 
 日本では、太陽系異変対策委員会が中心となって、今後の、侵入した天体の行方や小惑星への影響、その後の地球への影響などが討論されていた。東出克彦や新見悟一などが武田博士ならどう言うだろう、というような発言をすると、決まってくさった顔をして藤川慎介が話の腰を折るのだった。それも当然と言えば当然だろう。あれほど、<マスコミに、謎の天体などない、太陽系に異変など起こらない、彗星か何かが冥王星に衝突したのだろう>と啖呵を切った手前もある。しかし、その後もテレビや新聞への窓口は委員長である藤川教授が仕切っていた。
 
 ・・・三日後に迫った新天体の小惑星への軌道侵入に対する今回の委員会召集は、結果的にはいつもと変わらぬ結論であった。一般大衆へ恐れを抱かさないように配慮すること、社会影響を考慮して、地球への悪影響はないと発表すること、などである。また、観測結果の報道は国内の天文台によるものや、中国での武田俊雄グループによるものではなく、いつもアメリカ、ヨーロッパからの情報を流すのが藤川教授のやり方だった。
 もちろん、中国での武田グループの観測結果が日本で報道されないわけではなかった。先日の衛星中継のように、マスコミは独自の取材をして報道するので、太陽系異変対策委員会の発表というのは、どちらかというと、限られた内容になることが多かった。
 
・・・これまで、武田博士の発表はいつも中国からのCS中継であったが、新天体が小惑星帯に突入するという事態に及んで、日本からNテレビ局が直接紫金山天文台に取材に来た。地元との取材合戦を呈するようになったが、中国側にとって良かった点がある。それはハイビジョン信号をPAL方式に直接変換するコンバーターがきたことである。解像度が一気に6割がたアップしたのである。南京放送がたいへん喜んだことはいうまでもない。
 武田博士のグループにも朗報があった。それは、この日本からのNテレビは世界の有数の大天文台をいくつも取材してきていたので、それらの大望遠鏡による映像の録画が見えたことである。土星の環の揺れは武田グループが第一発見者だとはいえ、その直後の映像が極めて鮮明に映し出されているし、新天体が見え始めてからの映像は、紫金山天文台の望遠鏡ではとても見れない詳細な部分を映し出していた。オスミウムやプラチナ、トロイライトなど非常に重い元素やその化合物でできた天体であることも確認できたし、大きさと質量がきわめて正確に計算できた。
 武田博士は自分の思う事を隠さず、単刀直入にいつも発表していた。事実の経過と今後の予想を、聞く人に判りやすく、そして自分なりに判断してもらいたいことを付け加えて冷静に話すのが特長だった。
 
・・・いよいよ新天体が小惑星帯に突入してきた。この五日間、毎晩九時のニュースでは紫金山天文台からの生中継であったが、今夜の中継は一段と、武田俊雄、孫万歌ほか観測メンバー全員、そして中継スタッフ一同緊張の度が高まっている。
 カメラはハイビジョンである。ずいぶん小さくなったものだ。通常のNTSCやPALのものと大して変わらない大きさである。初期のハイビジョンカメラは大きく、重く、取り扱いがたいへんであったが、ENG用に開発されてからは、肩載せで現場の取材ができるようになっている。この紫金山研究室では三脚を使用して、揺れのないクォリティの高い映像にしていることはいうまでもない。わが国のNテレビは録画であるが、南京放送はハイビジョンからPALに変換した信号を使って、そのまま生中継になっている。
「日本の太陽系異変対策委員会の発表では、新天体が小惑星の軌道に入り込んでも、別に異常な事態は起こらないと言っていましたが、武田博士の意見はどうでしょうか」
 と、Nテレビの取材陣が質問してきた。今夜も例の美人キャスター明令夏が来ているが番組の初めに現地からの生中継であることを告げただけで、あとはNテレビの方の動きに任せていた。Nテレビの方はキャスターはいない。現場ディレクターがマイクだけを相手の口元に寄せてくる。
「異常な事態というのを、どの辺までの異変ととらえるのか難しいですが、少なくとも現状のままというわけにはいかないと思います。私よりも孫先生にお聞きしてみましょう」
 と、武田博士は孫万歌教授にマイクを渡すよう、ディレクターにうながした。カメラは孫教授にパンして行き、マイクも移動した。
 孫教授はちょっとためらい気味であったが、天文台に来る道すがら、車の中で武田博士と話合った内容を手短に話し始めた。中国語である。中国では生放送であるが、Nテレビはハイビジョン録画であるめ、日本国内で放送する場合、編集時に日本語字幕を付加する。
「大きさは水星くらいで、質量が極めて大きいことはすでにご存じと思います。これが小惑星帯の中に入るのですから、当然、小惑星をつぎつぎと捕獲していき、自分自身大きくなっていくでしょう。そのまま太陽系を回るようになれば、当然、惑星の仲間入りということになります。しかし、その新生惑星がチチウス・ボーデの法則に従う安定な軌道に乗るかどうかはわかりません。・・・・もう一つの心配は・・・・引力です。太陽系が安定な引力圏で存在しているところに、別の天体が現われ、小惑星を捕獲して新生惑星となれば、当然引力のバランスが変わってきます。この影響が地球にどのように現われるか、です」
「ということは、二つの心配があることになりますね。人工衛星が安定な軌道から外れて地球にだんだん接近して、ついには地球に落ちてしまうのと同様に、新生惑星もチチウス・ボーデの法則に従う軌道に乗らなかった場合には、だんだんと火星や地球の方向に落ちてきて、その引力による被害は想像を絶するものになるだろうということと、たとえ新生惑星が安定な軌道を回るようになっても、太陽系の引力圏そのものが変化するための影響が地球にもあるのではないか、ということですね」
「その通りです。・・・・このようなお話をすると、すぐ一般の人達は、もう地球も最後だとか、気候の大変動によって氷河時代が再来するとか、短絡的にとらえてしまい、パニックを起こしがちです。そういうことのないよう十分気を使ってもらいたいのです」
 孫万歌教授は、落ち着いた口調で、カメラのレンズに向かって話した。
「武田博士、他には予想されることはありませんか。どんなことでも結構ですが」
 と、やはり武田博士から何か話してもらいたいという風にカメラとマイクが執拗に寄ってきた時だった。茅場修が遠慮がちに小さな声で言った。
「武田先生、予想どおりです。始まりました」
 望遠鏡に取り付けたCCD撮像装置からの信号は、ハイビジョンモニターにきわめて鮮明に、小惑星が捕獲され、衝突している様子を映し出していた。全員が一斉にハイビジョンモニターの方に注目した。ピカッ、ピカッと、またしても光る。
「・・・・引力の変動が・・・・」
 武田博士は、もそもそと口の中で独り言を言ったのだが、Nテレビのスタッフはそれを見逃さなかった。
「引力?どういう事ですか?先生のお考えを率直にお聞かせください」
「いや、先程、孫先生がおっしゃった事がすべてです。二つ心配事がありましたね。それですよ」
 と、平静を装って答えた。・・・・じつはこの観測によって、ひょっとすると自分の理論が実証できるかも知れないと心の中で思ったのだった。しかし、ここではそれは出来ない。東京に戻らないと、その観測装置はない。いや東京ではない、山梨県の山中に設置してある装置である。おいそれと、ここまで送れるような代物でもない。スタッフは武田博士が何か隠しているな、ということを察知したようだったが、それ以上は突っ込まなかった。
 
 さらに数日が経った。物凄い勢いで小惑星が次々と吸い込まれ、謎の天体は膨れ上がってきた。まさにこれが惑星の誕生の瞬間である。衝突時の運動エネルギーは殆どが熱になるので、星全体が真っ赤になってきた。どろどろの状態である。地球や月、火星など星がなぜ丸いかというのは、このように初めはどろどろの液状であったからに他ならない。だから分子引力によって引き合って丸くなるのだ。空中で水滴が丸くなるのと同じである。自然の状態では円錐形をした水滴や四角な星など絶対にできない。自然現象の根本的な原理である。
 金星や地球、火星など太陽系の惑星も、まさにいま目前に展開していると同じ過程で誕生したのである。宇宙の塵である微惑星が互いの引力によって引き合い、衝突を繰り返しながら徐々に大きく成長し、惑星になり、太陽系になったのである。
 太陽系の起源については、最近、惑星やそれらの衛星の化学組成からのアプローチが流行し、いわゆる平衡凝縮説が有力視されているが、これは単に化学組成だけで惑星を並べたに過ぎないもので、力学的には難点が多い。たとえば太陽を含む各惑星の角運動量の説明が出来ない。
 三百年以上も前にデカルトは渦動説を唱え、カントは二百年前に微惑星衝突説を、そしてラプラスは星雲説、さらに潮汐説など数々の太陽系起源説が現われたが、今だ決定的な説はない。しかし、いま目前に見ている新生惑星は、まさにドイツのワイゼッカーや旧ソビエトのシュミットらの提唱する宇宙塵、微隕石の衝突説を実証している。大きく成長した惑星は、やがて冷えて、地球や火星のようになるであろう。
 
・・・新生惑星が成長するにつれて火星に異常が生じてきた。惑星誕生にばかり注目している間にハワイのM天文台やアリゾナのK国立天文台、チリのS天文台など著名な大天文台が火星に猛烈な砂嵐が吹きまくっているのを次々と観測、発表したのである。
 火星の砂嵐は季節の変わり目に吹き荒れることは知られているが、現在の砂嵐は明らかに異常である。普通なら地球から見ると、白く氷の平原になっている南極や北極までが、赤い砂塵で覆われていた。
「茅場君、火星の軌道が変化してないか、調べてくれないか」
 と、武田博士は、この一週間の徹夜の観測による疲れで、げっそりと痩せた頬を撫でながら言った。
「はい、いま白浜君が計算しているところです。一週間前までさかのぼって火星の動きをインプットしましたので、かなり詳しいデータが出ると思います。・・・・白浜君、まだ結果は出ないかな」
 茅場も疲れていた。中国政府の要請で、もうしばらく観測を続けて欲しいということになり、日本のNテレビ局の取材も来ていることだし、日本勢は紫金山天文台に釘づけになっている格好である。
 軌道計算だけならすぐ結果は出るが、茅場たちは軌道だけでなく、地軸の変化が起きているのではないかとの疑いから、詳細な観測データをインプットし、計算しているのだった。
「ごめんなさい・・・・キーボードの打ち間違いばかりで・・・・バグもあったし・・・・」
 と、白浜は弱々しく答えた。李や趙と、それに現地のテレビ局の取材陣だけの時は、張り切ってやっていた白浜も、日本からのNテレビの取材が来たとたん、疲れは二倍、三倍になっていった。今までどおりでいいんだ、と茅場らと今朝も食事時に話し合ったばかりであったが、武田も茅場も、そして白浜もそうはいかなかった。何に神経を使っているのか、自分でも判らないくらい神経が疲れた。李や趙の、いままで以上の活発な活躍が羨ましかった。キーボードを打つ指が思うように動かない。
「・・・・出ました。軌道に変化はありません。従来と変化なしです」
 と、白浜は武田博士の方に向かって弱々しく言った。
「そうか・・・・そうすると、この砂嵐は・・・・」
「先生、たぶん地軸の変化です」
 と、茅場が、白浜のコンピューターの操作している傍に行きながら言った。
「地軸?・・・・しかし火星の地軸が計算できるほどの長期的な観測はしてないから、確かめることは無理だろう」
「ええ、無理かとも思いますが、一応一週間前からの火星の動きを調べています・・・・白浜君どうかな。まだ出ない?」
「待ってよ、そんなに急かさないでよ!」
 と、白浜はつい強い調子で口走ってしまった。これまで一度だって、こういう言い草はなかったのに。言ったあとで、白浜は<ごめんなさい、茅場さん!>と、自分の口を疑うように思わず、手を口に当てて下を向いて、心の中で叫んだ。しばらく顔を上げなかった。髪の毛がぱらっと両肩からキーボードの上に落ちている。さすがに茅場はそういう白浜の言動を素早く見抜いて、腹を立てたり、言い返したりはしなかった。<疲れているんだ、ごめんね白浜君。・・・・先生もあんなにやつれてしまって・・・・早く東京に帰りたい>、茅場がこれほど東京に帰りたいと思った瞬間はなかった。
「いいんだよ、落ち着いて、落ち着いて」
 茅場はいつもの優しさで受け応えた。白浜は喉がきゅうっと絞まる思いだった。<疲れてる、これ以上疲れると、私どうなるか判らない>、白浜は体全体から力が抜けていくように感じた。両手で顔をおおって、うつむいたまま頭の中を真っ白にした。・・・Nテレビの取材VTRは相変わらず、一部始終を録っていた。
 ジョブボタンを押したままだったコンピューターは、やがてディスプレーに計算結果が表示された。・・
「地軸も、変化らしい変化は現われていませんね」
 と、茅場は武田博士に小声で言った。
「きっと変化はあるんだ。しかし、この一週間くらいの観測ではデータ上には現われないんだろう。それに、砂嵐の原因は軌道変化や地軸の変動だけとは限らない。公転や自転の速度が変わっても、異変は起こる。・・・・いずれにしても、地球も・・・・」
「ええ、心配です。・・・・白浜君、結果が出たよ。・・・・ありがとう。・・・・もう、今日は、この辺で帰ろう。・・・・白浜君、白浜君」
 二人の会話を、どこか遠くの野原の美しい景色の中で聞いていたようだった白浜は、ふと自分の名前を呼ばれているのに気が付き、われに帰った。
 その時、白浜は一瞬、微小な空間振動みたいなものを体全体に感じた。それこそ脳の奥深くが揺れたような感じだった。
<疲れてる、本当に私どうかしてしまいそう>、白浜は神経が疲れているせいだと思った。他の者、武田博士や茅場、李、趙、それに数人の取材関係者も全員が、その一瞬、体の奥深くの細胞が膨張したような厭な嫌悪感が襲っていた。しかし、それはあくまで一瞬の出来事で、次の瞬間には、もう、もとに戻っていた。この細胞が膨張したような厭な嫌悪感は地球上のあらゆる人々にも襲っていた。動物たちはけたたましく騒いだ。
 それから約十五分後に、小惑星最大のケレスが新生惑星に大衝突したのが望遠鏡で観測されたのであったが、その因果関係に気が付いた者は誰一人いなかった。