観測装置の動作はすべてが順調であった。このCCDカメラと、ハイビジョンモニターそのデジタルメモリー装置、およびコンピューターがあればまさに鬼に金棒、百人力である。ちょっとした軌道変化でも立ち所にディスプレーしてくれる。もちろん、その軌道計算は冥王星だけでなく、海王星や天王星、土星、木星などすべての太陽系惑星についてプログラムされている。三十分程度の追跡観測だけで軌道方程式を導きだす。
 またシュミットカメラの方は惑星や恒星など既知の天体以外の未知の彗星や小惑星なども見逃すことなく監視する。
・・初めの一週間は目まぐるしい毎日であった。李鵬陽や趙先雲らと、観測のローテーションを組むのだけでも、順調にいくようになるまでに大変であった。李や趙など若手の学者は最新の観測装置を操作したくて、うずうずしているのだ。毎日でもやりたいと申し出るため、時間を決めてきちっとデータ整理や計算、科学院への報告書作成など、それぞれの持ち場や交替制が決まるまで、何日もかかった。夜を撤して観測をしながらの話し合いをした事もあった。
 自動観測装置があり、映像はデジタル化して、デジタルVTRとコンピューターに記録していくから、本当は夜は自動装置に任せておいて、昼間にそれらの解析をやればいいのだが、李や趙は、それでは第一発見者になれないから、リアルタイムで観測をしたい、と意気込みがすごく、結局夜の観測が主体となっていった。もちろん昼間も全員で、コンピューターの画像解析をもとに、熱心な話し合いが進められた。
 
・・・・しかし、何ら新しい発見もなく、紫金山天文台に来て1ヵ月が経った。緊張の連続であった毎日も、だんだんと気持ちがほぐれてきた。
 そんなゆったりした日が続く中でも武田博士は研究論文の仕上げに余念はなかったが、ある日、孫万歌教授が武田博士に、「折角南京大学に来てくれているのだから、特別講座を設けたので、ぜひ講義をして欲しい」と依頼してきた。
 武田博士は、そういう積もりはなかったし、まとまった話は出来る自信はないので、断りたいと申し出たが、南京大学側も “相対性理論は間違っている” という内容の出来るだけ分かりやすい講義をと、大変熱心に望むため受諾し、何回かに分けて講義をした。学生たちの反応は想像以上に敏感で、博士も満足であった。
「先生、今日は特別講義の最終日ですね。ぼくたちも聞きに行ってよろしいですか?天文台の方は李さんの当番で、任せておけばよろしいので」と、茅場と白浜は、博士の中国での講義をせめて一目でも見ておきたいと嘆願した。博士ははじめは遠慮してくれと、断っていたが、
「今日、最終日は質問を受けて、それに答えるだけの予定なので、いいだろう。私に答えられない事があったら、助けてくれよ」と、冗談まじりで許してくれた。
 
 初日は孫万歌教授が武田博士を紹介しただけであったが、最終日とあって、今日は司会役を買って出た。
「・・・ということで、質問があれば、受けて下さるよう、博士に特別に本日を追加してお願いしたのですが、みなさんどうでしょうか」と、孫教授が、武田博士を中央の演壇の方へ導きながら言った。
 十人以上の挙手が見えたが、その中の一人に孫教授が指名した。
「貴重なご講義ありがとうございました。先生の多変数位相渦理論の論文を拝見したことがございます。しかし数式ばかりで展開されているので、よく分からなかったのですが、本日のお話によって、先生の考えていらっしゃる真意が掴めたように思います」と、流暢な日本語で発言してきた。若い学生である。
「先生の理論では、ブラックホールは存在しますか?。ブラックホールは相対性理論によってのみ説明でき、また予言も出来たとされていますが」
「ブラックホールは存在すると思います。・・・・しかし相対性理論は今まで述べてきましたように、物体の相対速度は光速以上にはなり得ないとか、引力は電磁波のスピードで伝わるという、きわめて不自然な座標変換理論です。したがって内部に矛盾を含んだまま展開されるので、さまざまの仮定を導入しなければなりません。ブラックホールを説明できたのは、たまたま一般相対性理論が重力理論であったからで、重力に対してニュートン以来の一石を投じたものだったからです。
 しかしブラックホールを正しく記述しているわけではないです。現在の宇宙論は無理な仮定をいろいろと導入しています。私の理論は物体の相対速度に対して何らの制限は加えないので、星と星が、星雲と星雲でもいいですが、物凄い勢いで引き合い、光速以上のスピードで衝突することがあります。それがブラックホールを生むのです。典型的な例が、銀河中心です。星雲銀河の中心付近には想像を絶する数の星があります。これらは互いの引力で引き合い、回転しながら衝突を繰り返し、巨大な引力を持つ、まさに“火の玉”と化しています。これに引っ張られて、突っ込んでくる星は、加速度がついて、光の速度の何倍、何十倍という早さになっているでしょう。こういう世界では、もはや電磁場はバラバラに分解され、光も光としての機能は消滅してしまいます。これがブラックホールです」
「星々を呑み込んでしまったら、最後にどうなりますか」と、座席の前の方にいた学生が中国語で質問した。
「小規模のビッグバンが起こります。爆発です。ヘラクレス座の球状星団M13やケンタウルス座のオメガ星団がそれです。最大級のビッグバンが宇宙の始まりでしょう。時間と空間の始まりだとする一般相対性理論ではありませんよ。ここを誤解しないでください。
 現在の私たちが居る宇宙は、やがて互いの引力で膨張が止み、今度は収縮する宇宙になります。星雲同志の激しい衝突を繰り返しながら、どんどんと収束していきます。まあ宇宙の端っこの方にあった星雲はとり残されるかも知れませんが(笑い)。殆どの星雲は巨大な引力を持つ中心核に向かって落ち込んでいきます。中心核といっても、巨大なものです。宇宙の物質がぎゅうぎゅうに押し込められるのですから。これが爆発します。私の言うビッグバンです。私のビッグバンは想像を絶する巨大な中心核の爆発です。そして再び膨張する宇宙になります。これを何百億年に一度づつ繰り返しているのです。もちろん、こういう振動する大宇宙は一つだけではなく、無限の宇宙空間に、あちこち存在するでしょう」
「現代宇宙物理学では、ビッグバンは、そんなに大きな“火の玉”、つまり大きな中心核ではなく、素粒子より小さな一点から瞬間に爆発したということになっていますが」
 さっきの一番前に座っている学生が遠慮がちに尋ねた。
「まさに一般相対性理論の数学的欠点がそこにあります。点というのは位置だけあって大きさの無いものです。そんな所から宇宙が生まれるわけがありません。なぜ、そういう事になっているかと言うと、使っている数学がそうだからです。いわゆる質点というのがそれですね。太陽や月などの天体の運行を計算する時、点として計算しますね。実際には大きさがあるのですが、無視して計算して立派に役立ちますね。そういう数学を使って宇宙を方程式化しようとするから、空間の、ある一点から突然、10のマイナス36乗秒という瞬間に宇宙が生まれたとかになってしまうのです。
 私の使っている数学は位相数学といって、従来の点、線から成るものではないので、大きさも重要なファンクションです。宇宙の始まりは巨大なプラズマ核だったでしょう」
「爆発し、また収縮し、という宇宙の繰り返しは理解出来ますが、一番最初はどうやって宇宙は生まれたのですか」
 初めに質問をした日本語の達者な学生が聞いた。
「卵が先か、鶏が先か、という問題ですね。少なくとも現在の地球人にはそういうことは実証することは出来ないこととして、現に、いま存在する世界から人類に役に立つ物理学を創って行こうではありませんか。
 私の理論では、宇宙はあちこちにある可能性があります。私たちの宇宙より、さらに進化した遠くの宇宙は今収縮宇宙かも知れません。やがてビッグバンを起こすでしょう。宇宙の果ての取り残された星雲は、隣の宇宙の引力に引き寄せられて移動しているかも知れません。・・・・私たちの物質世界を謙虚に認める、そこから物理学を創っていきたいのです」
・・・少し間をおいて、ほかの、ちょっと年配の聴講者が手を上げた。
「相対性理論は間違っていると、おっしゃいますが、アインシュタインの一般相対性理論は水星の近日点移動を見事に説明します。これをどうお考えですか」
「幾何学です。何も相対性理論でなくても幾何学によって、近日点の移動を示すことが出来ます。しかしそれは本質的な説明ではありません。太陽に最も近付く点、すなわち近日点は、どの惑星も一周するごとにずれて行っています。水星が最も顕著に観測できるだけです。私たちの地球も、あと何億年もすれば、現在とはかなり異なった軌道になっているでしょう。
 これにはいろいろの理由があります。他の惑星による引力の影響を受けていること、惑星は太陽の周りを螺旋運動していること、太陽は自転の影響で完全な球形ではなく扁平な形状をしているので、その影響を受けていること、太陽系自体が高速で白鳥座の方向に加速移動しているため、等々です。アインシュタインの一般相対性理論では、太陽系がはくちょう座の方向に加速運動していることは、計算には入っていません。それでいて、従来の観測で分かっていた値をピタリ数値として、はじき出しているのですよ。アインシュタインは大天才だからですか?そうではないと思いますよ。もし観測値を知らなかったら、こんな正確な値を導出出来たかどうか、疑問だと思います。
 私はいろいろの原因をパラメータに入れながらニュートン力学で計算しました。そうしますと、観測結果とよく一致するのですが、それでもなお、微妙な誤差があります。その誤差は観測誤差程度ですが、私にはどうしても納得がいかず、研究をすすめました。その結果、太陽系の惑星が9つ以外に、もう一つ強力な引力を持つ天体が存在すれば、解決できることを発見しました。こちらに来る前、2ヵ月くらい前のことです。私の式をコンピューターで計算してくれたのは、いま会場のうしろに座っている茅場修君と白浜宏美君です」
 会場が、「おー」っという騒めきに変わり、殆どの聴衆がうしろを振り向いた。茅場と白浜はちょっと照れくさかったが、立ち上がり、お辞儀をして、嬉しい気持ちにもなった。この新しい発見を知っているのは、まだ博士と茅場、白浜の3人だけであった。論文をまとめて発表しようと準備を進めていた矢先に、冥王星の軌道の異変が生じ、にわかに慌ただしくなり、つい今日まで発表が伸びてしまったのである。
「そのほかに質問はないでしょうか」
「・・もう一つございます」
 先程の年配の聴講者である。
「現代天文学では、遠くの星雲ほど、早いスピードで我々から遠ざかっているとされています。したがって何十億光年もの彼方の星雲は光速に近いスピードで我々から離れていると説明されていますが、本当でしょうか。先生の理論でもそういう結論になっていますか」
「いいえ、全くそうではありません。遠くの星雲ほど早いスピードで遠ざかっている、というのは宇宙の中心は地球であるという天動説です。何億年もかかってやってくる光は途中の宇宙塵や星雲の強い引力によって集まっているガス雲などによってエネルギーを失い、波長が長くなるのです。この事を物理学者はまだ気がついていません。
 現代のアインシュタイン宇宙物理学では、どんなに遠くの星の光でも絶対に光は光のままだとされています。そこが間違っているのです。確かに光の飛んでくる空間に何もディスターブするものが存在せず、完全な無の空間であるならば、波長は一定で飛んで来ます。しかし、それは理想状態であって、実際の空間には宇宙が存在し、つまり水素やヘリューム、その他もろもろのガス物質、星、星雲などが有限とはいえ存在するのですから、これが光つまり電磁波の電界と磁界の変位を長くさせているのです。何億年もかかって光が飛んでくる間には、数々のディスターブによって波長は長くなるのです。これを「量子エネルギー効果」と私は名付けていますが、これが赤方偏位として観測されるのです。したがって、遠い星雲ほど赤方偏位が大きくなる事は当たり前で、“遠ざかっているから” ではないのです。地球からあまりにも遠い星雲は、その出た光は波長が長くなり、ついには赤より長い波長になって、赤外線でしか見えないものになっているものが沢山あります。更に波長が長くなったマイクロ波背景輻射もその典型ですね」
<なるほど、新しい理論で、つぎつぎと古い理論が補正されるものだ>と、うなずきながら質問者は納得したようだった。
・・・「他に質問はないでしょうか。なければ終わりとしたいのですが・・・・」
 と、孫教授が見渡した。中央付近で熱心にノートを取っていた女子学生が手を上げた。
「量子力学はどのようにお考えですか。やはり間違っていますか」
「いえ、いえ、量子力学は間違ったところはないと、私は思っています。あの理論は統計力学であり、観測結果をうまく記述するように組み立てられていますから、観測量が飛び飛びになることを上手に説明します。現代実験物理学は殆どが電子工学に頼っています。つまり測定系が殆ど最終的には電子の振る舞いとして出てきます。電流ひとつ見ても、これは電子の流れであり、私たちが客観的に見ることの出来る最終的データは測定器にしろペン書きオシログラフにしろ、殆どが電子の作用を利用したものです。この電子は電荷を持った粒子の中では最も軽く、かつ私たちが容易に制御できる素粒子です。素粒子は色々ありますが、電子ほど自由にコントロールできるものはほかにありません。この電子はみなさん周知の如く負の電荷を持つ粒子です。爆発したり、バラバラにならないで、安定な状態でいられるのは、常に大きく膨張したり小さく萎んだり振動しているからで、したがって電子は粒子ですが、波としての性質も持っています。こういった性質を持った電子を測定系の武器に使っている以上、ミクロの観測結果が飛び飛びになることは言うまでもないことで、マックスウェルの電磁方程式を、飛び飛びの値を取る波動関数に書き替えた量子力学は物理学の大きな進歩の一つだと思います。
 しかし、20世紀後半、正確に言うと1920年代後半から、してはいけないことが流行してしまいました。それは量子力学と本質的に間違っている相対性理論を一緒にしようとすることです。いわゆる相対論的・場の量子論です。これはもはや矛盾だらけの、にっちもさっちもいかない状態にまで理論が展開されてしまっているので、多くの保守的な科学者は後戻りできないで、いらいらしています。皆さん方若い頭脳によって、ぜひ相対論が量子力学を浸食した部分を取り除いて下さい」
「長時間に渡って、予定の時間もオーバーしています。この辺で終わりたいと思いますが・・」
 と、孫教授が、締めくくろうとしているのに、
「夜空が暗いのはなぜですか」
 と、一人の学生が大きな声で、それも真面目な態度で、すっくと立って叫んだので、どっと会場に笑いの渦が巻いた。其処此処でバカな質問をするな、という声も出た。
 孫は躊躇したが、武田博士はにこやかに会場の、その学生の方に向かって流暢な中国語で答えた。
「皆さん、笑うことはありません。大変重要な質問です。逆にお聞きしますが、どうして夜空は暗いのですか?」
 と、その学生に聞いた。
「はい、僕はよくわかりません。しかし、相対論的・場の量子論によれば、星たちは無限の過去から光っているのではなく、ある有限の時間から光始めたからで、まだ光が宇宙を満たすほどの時間が経ってないからだ、とされています」
 と、はっきりした口調で、しかも訛りのない、しっかりした北京系の中国語で答えた。
「そうですね。多くの科学者が、そう信じているようですね。もしそうだとすると、あと何十億年もすると、夜空がなくなって、昼間のように明るくなるんでしょうね。(笑い)これも理論が間違った方向に行った事の結論の一つです。
 宇宙はあまりにも大きく広く遠い存在です。星の光の強さは距離の2乗に反比例してどんどん弱くなり、更に先ほど説明しました「量子エネルギー効果」によって星の光は弱くなっています。だから、私たちの網膜を刺激するほど強くないので夜空は暗いのです。光が無いわけではないんですよ。夜だって微小な星の光がいっぱいあります。それが証拠に望遠鏡を覗けばいっぱい星が見えるではありませんか。空間には光が満ち満ちているといえます。光増幅装置を搭載したテレビカメラで夜空を見てご覧。とても明るいですよ。人間の目には感じない波長の電磁波も宇宙空間に満ち満ちています。
 何度も言いますが、宇宙空間には水素やヘリウム、その他目に見えないガスやチリがいっぱいあります。それらによっても光は吸収されたり、弱くなったりして、先ほど説明したように波長が長くなってきます。だから夜空は暗いと感じるのです」
 
「大変ありがとうございました。先生も大変お疲れのようです。この辺で数回にわたった講演は終わりたいと思います。本当にありがとうございました」
 割れんばかりの拍手であった。総立ちになって、拍手で送られた武田博士は満足であった。はじめ講演を頼まれた時は正直いってあまり気乗りはしなかった。博士の考えを本当に分かってもらうには言葉では無理で、やはり“数学”を用いて説明しなければいけない事が分かっていたからである。ビデオプロジェクターも用意していたわけでなく、果たして言葉の説明だけで、どれだけ分かって貰えるか心配だったのである。しかし若い頭脳の学生諸君の反応は鋭かった。体が火照るほど嬉しかったものだった。
 ほぼ百年にもなろうとする、間違った理論に縛られることのないよう、新しい考えで羽撃いて欲しいと、心から望むのだった。