大磯海岸には意外と早く到着した。11時前だった。大きな駐車場がある。駐車料金が高いだけあって見張りのガードマンも立っている。最近は車上荒らしという曲者がいるので、ここなら安心だ。支払いは間宮が済ませた。割り勘にするとか話し声が聞こえたが、そんな事はどうでもよかった。早速各自が手荷物を持って下車。着替え室へと直行した。簡易海の家とは違い、個室の着替え室があり、きちっとコインロッカーもある。夏場だけの営業だろうに、かなりの充実した施設だった。
 
 ちょうどこの頃になって晴れだったのが曇りに変わって、肌を突き刺すような直射日光ではなくなったのは女性陣にとってラッキーだった。もちろん日焼け止めクリームは美枝子も由美も持っていた。
二人は互いに身体に塗り合って<キャー、キャー>と女性らしくはしゃいでいた。
「やっぱり、女性だな」
 内田は笑っていたが、間宮は
「いやー、まいったね。ビキニは刺激的だ」
 と、別の笑いが飛び出した。
「こうやって見ると、由美と美枝子さんは、殆ど身長が変わらないね。二人とも足が長いし」
「そうだね、欧米なみの足の長さだ。スタイルはいいし」
「由美ちゃん、身長何cm?」
「聞いたことないが、160cm弱じゃないかな」
「たぶん160cmくらいだね。俺たち175cmくらいだから、まペアとしていい線だね。」
「ペアか・・・」
「由美ちゃんも美人だよ。兄貴には分からないだろう、小さい頃から一緒に育ってきたから。目をつぶった時にね、まぶたがややハの字型になるんだよ。これがまた可愛い。わかってた?こういうこと」
「わかんねェ、わかんねェ、おだてたって何も出ねェよ」
「見ろ、見ろ、あそこにいる男3人、由美ちゃんと美枝子さんをじろじろ見てるぜ」
 間宮は男3人の方を目と顎で教えた。見てる、見てる。しかし間宮も内田も何かしら得意な心境になっていた。面白い心理状態だ。
 ちょうどその時、二人がこちらに駈けてきて、
「兄ちゃん、美枝子と泳いでくる」
 と叫んで、日焼け止めクリームをポーンと投げて、くるっと背を向けて駈け出して行った。
「兄ちゃんはナイだろう、ペアになんねェよ」
 内田は腹を抱えて笑いながら、どさっとレジャーシートの上に仰向けになった。
「二人、仲がいいなァ、羨ましいよ。僕なんか一人っ子だから、そういう会話って全くなしだよ」
「いやいや、喧嘩もよくしたよ。大抵ぼくが負けるけどね。親がそうしちゃうんだ。<お兄ちゃんのくせに>とか、
<お兄ちゃんだから>ってね。ぼくが我慢強い人間になったのは、まあ由美のせいだな」
 楽しい会話が続いた。何ヶ月ぶりだろうか、こんなにゆったりした時間が持てたのは。喧噪世界の東京で勉強と仕事に追われ、懸命に生きている。
「ところで美枝子さんはどこの出身なの?東京?」
「いや、そうではないらしいが、ぼくもよく知らないんだ。新入社員歓迎会の時に、山形県出身だと言ったと、由美が言ってたが、それ以上の事は分からない。ウチに遊びに来たときも、実家の話になったら、急に寂しそうな顔になったので、みんなで話をそらした事があった。マ、いいじゃないか、そういうのは。いまの美枝子さんの生き生きとした毎日を見守ってやろうよ」
「ごめん、余計な事聞いちゃった。あの大人しさ、奥ゆかしさはどこからくるのか、不思議だったから、つい余計な事言っちゃった。・・・・・ぼく・・・・あの子と付き合いたいんだが・・・・」
「そのために一緒に来たんじゃないか。由美が<イチ押しだ>って言ってたから文句なしだよ。スマホの電話番号とメールアドレス、聞いておくよ。君からアプローチしてくれ」
「ありがとう」
 間宮克彦は、遠くで楽しそうに水をかけ合って、まるで子供のようにはしゃいでいる二人を見て、ふっと将来の自分たちが頭の中をよぎるのだった。
 
 やがて水遊びをしていた二人が戻ってきた。
「泳いだ?美枝子さん、泳ぎは得意?」
 内田が聞いた。
「学校のプールの時間に習った程度で、どのくらい泳げるのか、自分では分からないですね。一応クロールはできます」
「いいじゃん、立派だよ。あのね、ぼく知ってるんだけど、克彦君は6000mの遠泳をやったことがあるんだよ」
「ああ、そうなんですか。すすす、尊敬します」
 美枝子は<凄いですね>と言いかけたのが、とっさに<尊敬します>になってしまったので、まともに克彦の方を向けなかった。テレビ業界では、これを<噛んだ>というわけである。
「じゃあ、今度は俺たち泳いでくるから、待ってて。ナンパされるなよ」
 と言って内田が立ったので間宮も、それに合わせたが、美人二人への心遣いを忘れなかった。
「曇りでも紫外線は結構強いから、その大きなタオルを頭から被って、顔や肩を守ってね」
 二人はかなり長い間準備運動をしていたが、なにやら話し合った途端にダーッとダッシュで海へ向かって走って行って、ドボーンと潜り込み、なかなか浮かんでこなかった。20秒や30秒ではない。もっと長かった。それを見ていた由美と美枝子は心配して、
「え?どうなってんの」
と言いながら、二人ほぼ同時に立ち上がって沖の方を探した。どのくらい経っただろうか、フッと伸夫と克彦が頭を出した。
距離的にも殆ど同じだ。今度は砂浜の方を指さして同時にクロールで泳いできた。競争しているのだというのが、やっとわかった。砂浜に着いたのも殆ど同時だ。二人は、ゴロンと仰向けになって、ハア、ハアと息を弾ませている。
 由美と美枝子は、それを見てニコニコ笑い合った。
「あのね、兄ちゃんと克彦さんは高校、大学ずーっと同じなの。勉強もいつも競争。大学では法科と経済で学部は違っていたけど、首席で卒業するんだと、まあ競争ばかりしてたわ。でも仲がいいのよ。お互いを信頼し尊敬し合うという感情というか、思いが強いのよね」
「いい事だわ」
 美枝子は胸の奥が洗われたような清純な気持ちでいっぱいになっていた。
 
 やっと落ち着いた伸夫と克彦はハアハア言いながらも笑いながらレジャーシートまで戻ってきた。しかし、ただそれだけである。どちらが勝ったの、負けただの、そんな言葉は二人とも一切女性二人の前で口にはしなかった。
「カラオケ大会は1時からだったよね」
 防水腕時計を見た伸夫が言った。
「ああ、そうだ。そろそろ昼飯食っとこう。で、大会の申し込みも済ませておかないと、<締め切りー>なんて事になると美枝子ちゃんのLET IT GO!が聴けなくなる」
 克彦が美枝子のことを<美枝子ちゃん>と言ったのは、この時が初めてだ。美枝子はそれを聞いた瞬間、ドキッとしたが嬉しかった。二人の距離が急速に縮まったのはこの時だった。
 
 レジャーシートを片づけて、どこか室内で食事できないか探しながらうろうろしたが、あった。小さなレストラン風で、みんな水着のままで出入りしている。
「あそこに入ろう」
 伸夫はやや早足で急いだ。三人は遅れそうになり、あとに続いた。
「ある、ある。結構種類はあるよ」
 四人はそれぞれ好きなものを選んだ。美枝子は
「わたし、水着のままで唄うんだったら、お腹が出たら恥ずかしいので、サンドイッチ程度でいいわ」
 と言って、少なめのコーヒーとサンドイッチを食べた。
「いやー、そこまで考えているんだ。偉いなー、というよりさすがだね。優勝、間違いなし!」
 伸夫は手を叩きながら褒めた。
 あまりゆっくりはできないと、急いで食事をしたあと、こんどはアトラクションのステージを探した。その時、場内アナウンスが流れた。女性の声だ。
「本日はご来場ありがとうございます。すでにお伝えしておりましたように、本日の特別イベントはカラオケ大会でございます。誰でもご自由に参加できますが、申し込みの順番で唄って頂きますので、早めにお申し込みをお願い致します。ゼッケンをお渡しいたします。また1時から3時までとなっておりますので、参加者は25名と限定させていただきます。ステージの右サイドに受け付けがありますので、お願い致します。カラオケマシーンにはコンピューターによる採点機能が搭載されておりますので、審査員による主観的な好みによる点数差は一切ありません。そして最高得点を得られた優勝者には10万円の賞金が、2位は5万円、3位は1万円と、3人が栄えある思いでの名誉を獲得できるイベントです。なお衣装、服装は自由で、水着のままでも結構です。喉に自慢の方々、ふるってご参加ください。
もう一度ご案内申し上げます。すでに・・・・・・」
「おお、いよいよだ。申し込みに行こう」
 伸夫は自分が出場するかのように、意気揚々とステージの方に向かった。三人は顔を見合わせてニコニコ笑っていたが、緊張しているのは、美枝子の方ではなく、むしろ由美だった。
「がんばって!」
 由美は美枝子と手をつないで歩いていたが、その手をギュッと強く握った。
 
 受付のテーブルの前には、すでに何人も並んでいた。
「えー、好きな人、多いんだなー。1,2,3,4,5・・・・。大丈夫、25人以内だ」
 伸夫がさっと最後列に並んだ。そして手招きで美枝子を呼んで自分と代わった。並んでいる人々を見るとほとんど水着のままである。履き物をみると、これまたみんなビーチサンダルだ。<これはいかん>と、とっさに判断した伸夫は由美を呼び、ロッカーから今日履いてきた美枝子の靴を取りに行くよう指示した。
 急いで持ってきた靴を見ると、かかとの高いものではなく、平たくまた革製ではなくゴム何%かの軟らかいものだった。これならステージで動き回ることが容易だし、床の音はしない。ナイスだ。
 美枝子に近づいて小さな声で<順番がくるまで、この靴持ってるからね、これを履いて唄って>と耳打ちした。
美枝子は<ああ、この方がいいと思ってた>と返事をして嬉しそうにうなずいた。やがて順番が来てエントリーナンバー20という直径15cmくらいの丸いゼッケンをもらった。かなりあとの方だ。ゼッケンは腰のあたりにピン止めすることになっていた。
 
 1時になり、いよいよイベントのカラオケ大会が始まった。司会者は女性で、多分派遣会社から来たのだろう、ステージ上の振る舞いや話し方がプロなみである。
 エントリーナンバー1の歌い手はおじさんで演歌を歌ったが、途中でモニタースクリーンが消えた。慌てたおじさんが司会の女性に文句を付けて、なにやらステージ上でもめていたが、がっかりした様子でステージを下りた。司会者の説明があった。
「唄ってくださる歌い手の皆様と観客の皆様、説明不足でまことに申し訳ありませんでした。このカラオケマシーンは2分間の総合得点を計算して60点以下ですと自動的に止まるように設定されています。つまり全曲唄えない事もあるのです」
 観客が<ワーっ>と一斉に笑った。司会者が更に説明を続けた。
「たとえば1分55秒の時、歌えなくなって2分経ったとしましょう。その時点で60点以下ですとモニターは消えます。しかし60点以上ですと、思い出して歌を続けることが可能というわけです。分かりました?みなさん!」
「わかったー」
「わかったー、続けろー」
 観客は大笑いで、
「そりゃ楽しみだー」
 と叫んでいる者も何人かいた。
 美枝子をはじめ4人も笑ったが、伸夫が真剣な顔をして説明し始めた。
「コンピューターならではの可能な設定だね。美枝子ちゃんが新入社員歓迎パーティのとき唄ったカラオケマシーンは採点機能をoffにしていたんだったよね。そういうように何だって出来るんだ。ピッチを変えることも出来るし。・・・それにしても、このライブSRは音がいいよ」
「SRってなーに?」
 由美が聞いた。
「クラシック音楽をやる時のコンサートホールではスピーカーは普通使わないよね。生演奏を聴くためだから。でもライブステージでは大音響でスピーカーから音というか音楽が出てるだろう。この音のいい音響装置全般のことをSRって言うんだ。Sound Reinforcement 」
「PAって聞いたことあるでしょう。あのPAっていうのは、さきほどの”お知らせ放送”とか、駅や空港内の案内放送、病院内の呼び出し放送などで、あまり音質を重視したものではないものです。Public Address system」
と、間宮が付け加えた。
「ああ、そうなの。そういう区別があるんだァ。ここのSR、そんなに音がいいの?」
 由美が感心したように言ったとき、ちょうど2人目が歌い始めた。
「ほら、音がいいよ。低音はよく出ているし、ボーカルの伸びはいいし。美枝子ちゃんの声、よく通ると思うよ、楽しみだー」
 伸夫が待ちどおしくて堪らないように言った。
 カラオケから出る伴奏やボーカルは、家庭用のカラオケで風呂場で唄っているような奇妙なエコーを付けたりしてない。そういう機能は当然のことながらoffにしている。
 
 3人、4人、10人、15人と進んでいったが、なかなか90点には届かない。曲は演歌が多い。うまいなと思っても80点台だ。ポップス系で上手な女性がいた。91点をたたき出し観客の喝采を受けたのが由美らにとって唯一印象的だった。
 あと5人目というところで美枝子は伸夫が持っていた靴に履き替えて、順番で並ぶステージのソデに皆んなと別れて行った。
 
 克彦はふと思い出した。美枝子の睫毛の長いことだった。由美に聞いてみた。
「由美ちゃん、あのさァ、美枝子ちゃんの睫毛、とっても長くて可愛いでしょう。あれって付けまつげ?」
「いやいやいや!本物、自前よ。スッーと上に向いてて可愛いでしょう。うらやましいわ。第一泳ぎに来たんですもの、付けまつげなんてしないわ」
「そうだよね。・・・・・由美ちゃんも長いよ。目をつぶったとき、由美ちゃんが可愛いのは、そのせいだよ。・・・・・
そうか、自前か・・・・・」
「何をそんなに感心してるの?わたし、そんなのすっかり忘れてた」
 由美は笑いながら、自分のまつげを指で上に押し上げていた。女の子らしい可愛い仕草だ。
 
 いよいよ美枝子の出番となった。
「エントリーナンバー20の武田美枝子さん、どうぞ!」
 司会者が美枝子を呼んだ。
「こんにちは」
「スタイルがいいですね。モデルさんですか?ビキニがとてもお似合いですよ」
「いえ、ただのOLです」
「きょうは、どちらから?」
「東京です」
「お友達と?」
「はい、一番前にいます」
 由美が手を大きく振った。美枝子もちょっと手首を挙げて振って目と目が合った。由美は<落ち着いている>、<これならいける!>と直感した。
「ビキニがお二人お揃いですね。黄色系がお好きなんですね。それに薄い青色の海の波を思わせる模様が素敵ですよ」
 司会者が由美の方を向いて羨ましそうな口調で話した。
「ありがとうございます」
 美枝子は少しはにかみながら笑顔で答えた。
「きょうは何を唄ってくださいますか?」
「アナと雪の女王から Let it go!です」
 この時点で、すでに<ワー!>という声が響いた。
「それでは、お願いします。どうぞ!」
 
 前奏が始まった。
 もう一回、由美と美枝子は目が合った。そのとき美枝子がニコッとしたのを、伸夫も克彦も見逃さなかった。<落ち着いている!その調子で唄ってくれ!>、二人は同じことを心の中で叫んだ。
 全く音程はズレないでピタッと歌に入った。
 
 The snow glows white on the mountain tonight
 Not a footprint to be seen
 A kingdom of isolation
 And it looks like I'm the queen
 The wind is howling like this swirling storm inside
 Couldn't keep it in, heaven knows I tried
 Couldn't keep it in, heaven knows I tried
 Don't let them see
 Be the good girl you always have to be
 Conceal, don't feel
 Don't let them know
 Well, now they know
 Let it go!
 Let it go!
 Can't hold it back anymore
 Let it go!
 Let it go!
 Turn away and slam the door
 I don't care
 What they're going to say
 Let the storm rage on
 The cold never bothered me anyway
 It's funny how some distance
 Makes everything seem small
 And the fears that once controlled me
 Can't get to me at all
 It's time to see what I can do
 To test the limits and break through
 No right, no wrong, no rules for me
 I'm free!
 Let it go!
 Let it go!
 I am one with the wind and sky
 Let it go!
 Let it go!
 You'll never see me cry
 Here I stand and here I'll stay
 Let the storm rage on
 My power flurries through the air into the ground
 My soul is spiraling in frozen fractals all around
 And one thought crystallizes like an icy blast
 I'm never going back.The past is in the past
 Let it go!
 Let it go!
 And I'll rise like the break of dawn
 Let it go!
 Let it go!
 That perfect girl is gone
 Here I stand in the light of day
 Let the storm rage on!
 The cold never bothered me anyway
 
 車の中でリハーサルした時もそうだったが、モニタースクリーンは全く見なかった。モニターで歌詞を追っかけると、それで精一杯になり、唄に感情が出ないし、抑揚などを付ける余裕がなくなる。伴奏をよく聴くこと。これに集中した。身体を左から右へダーッと動かしながら右手を挙げて上下し、音程とリズムを取る動作などは、まさにプロ級だった。終わった瞬間、もの凄い拍手と歓声で会場は沸き返った。
 じつは19人目が終わったとき、会場ではつまらなさそうに散って行ってガランとするほど空いていたのだ。それが美枝子が<Let it go!を唄う>と言ってからは急にUターンが始まり、観客がどんどんと増えていったのだ。
いかに『アナと雪の女王』の人気が高いかが分かる現象だった。
 このLet it go!は約4分ほどであるが、2分を過ぎたあたりからは会場はいっぱいの人々になっていた。美枝子のスタイル抜群ビキニも男達を魅了したのかも知れない。
 由美は美枝子の、圧倒的な歌唱力に改めて感激し、涙ぐんでいた。点数はどうでもいい、この会場の耳をつんざくような大歓声だけで十分だ、本当にそう思った。伸夫も克彦も初めて聴いた美枝子の天使のような歌声に、もはや我を忘れていた。
 点数の発表である。
「ただいまの武田美枝子さん、得点は・・・・・・・・・・95.625です!」
 ワーッという歓声が大磯海岸一面に広がった。
 
 エントリーナンバー25、つまりあと5人いたが、もはや美枝子の点数を上回る人はいなかった。優勝は武田美枝子に決まった。
・・・・・3位、2位と賞金が渡され、最後に美枝子だった。
「武田美枝子さん、優勝おめでとうございます。賞金の10万円です。どうぞ!」
 司会者が目録を手渡した。
「ありがとうございます」
 美枝子は深々と頭を下げた。鳴りやまない会場の拍手に、どれだけ感動したか、美枝子も涙ぐんでいた。
「この賞金、どうしますか。何か欲しいもののお買い物しますか」
 司会者が尋ねた。
「いえ、私は山形県の山あいの小さな農家の出身です。父と母、それに3歳上の兄がいます。故郷の家族に全部贈ります」
「・・・・・・・」
 司会者は何も言えなかった。会場も一瞬シーンとした。
「そうですか、お喜びになられるでしょう。これからも健康には気をつけて益々ご活躍ください」
「ありがとうございます」
「武田美枝子さんでした。会場のみなさん、もう一度大きな拍手を!」
 鳴りやまない拍手の中、静かにステージを下りた。大粒の涙を流しながら由美が抱きついてきた。由美の涙は美枝子が優勝したからではなかった。あの<故郷の家族に贈る>というひと言だった。<何て優しい子なんだ>、これは伸夫も克彦も同じだった。