「そう、それはよかった」
サイはなんとか騒ぎの鎮まった工房を抜け出して、黒猫亭に足を運んでいた。勿論、喜びを分かち合うためなのだが、相手の反応が悪く、少々機嫌が悪くなっていた。
それを見て、ナージャは苦く笑った。
「どうしたの」
「あんまり喜んでくれないんだもん」
相手よりも子供らしい様子でサイはむくれていた。それがナージャの苦笑を買っているということに、はたしてサイは気付いているのだろうか。
「だってさあ」
言い訳するようにナージャは言う。この1ヶ月で、サイは簡単な会話ならこなせるようになっていた。「不自由」なのには変わりないが。
「ここ、アーリャの家」
床を指差しながらナージャは言った。アーリャというのはアルファード・J・ノルン少佐の愛称のことだ。サイはその事実にむっとなるが、それ以外にどうしようもない。
つまり、ナージャはサイが来る前からあのビッグニュースを知っていたのである。
なんだか負けたような気分になって、サイはテーブルに突っ伏した。何に負けたかと言われても、返答に窮すのだが。
「どうかしたのかい」
そこへ第三者の声が割って入った。ナージャと同じくくすんだ金髪に、灰色の瞳。だがその目の片方は、綺麗な青色だ。本人は気に入っていないらしいが。
オッド・アイの少年シードルは、ナージャと並び立った。身長は僅かにシードルのほうが高い。実際シードルのほうが年上だ。その容姿から兄妹に見える二人だが、ナージャ曰く「遠縁の親戚」の関係なのだという。
事情を察したらしいシードルは、落ち着き払った様子で、よかったですね、と祝いの言葉を述べた。
「でも、飛空石を貰うのは難しいかも」
「どうして?」
シードルの気配に顔を上げていたサイは、シードルがテーブルを拭いて、茶菓子を並べていくのをそっと手で制した。ここで食事をする分には配給が行き届いているためそこまで金はかからないが、菓子類は配給に含まれないため、非常に高くつく。
「ありがたいけど、今は持ち合わせが少ないの」
「遠慮しないで、これは僕らからのお祝いです」
ナージャのほうを見れば、同意するように大きく頷いた。
「そう? じゃ、みんなでいただきましょう」
今はちょうど人の来ない時間だ。だからだろう、シードルもサイやナージャと同じように椅子にかけた。2人は目配せしあうとそっと茶菓子に手をかけた。
「で、さっきの続きですけど」
シードルが口を開いたのに、サイは「ちょっと待って」のハンドサインをした。まだ茶菓子を頬張ったままなのだ。ナージャはそれに呆れて、「少しずつ食いなよ」と零した。
サイが嚥下するのを見届けると、シードルは語り始めた。どこから話したものかと悩んでから、まずは北方の事実について語りだす。
「北のはずれに、スコーリンという小さな町があります。そこには、たくさんの飛空石が埋まっています」
シードルはゆっくりと、子供に言い聞かせるように語った。聞き取り能力が残念なサイにも聞き取れるように。そのことは知っていると、サイも頷く。
「スコーリンには、”ノルン”と呼ばれる人々が住んでいます」
「その人たちが問題なの?」
「ええ」
「あいつらよそ者が大嫌いなのさ!」
シードルの言葉を遮るように、ナージャが拳を振り上げ、言う。何か過去に因縁があるらしい。
シードルが落ち着け、と宥めるけれども、ナージャは不貞腐れたように椅子にかけた。
「どうしたの」
何かを躊躇ってから、シードルはこう告げた。
「僕らにも、”ノルン”は関係があるんです」
「ああ、そういえばアルファード少佐の名字は『ノルン』だったわね」
シードルの言葉に、サイはぽんと膝を打った。シードルはそれに曖昧に笑って、ええ、まあ、と応えるだけだ。
ナージャが唐突に手を打ち鳴らした。どうにも機嫌の悪そうな声音であった。
「はいはい、この話はもうお終い。行ってみてからのお楽しみの方が、サイも楽しいだろ?」