あなたの知らない生田原ガイドツアー
2020年10月、道東の遠軽町生田原、
北の王鉱山
跡を巡る探索ガイドツアーを開催。
今回は廃墟の製錬所を中心に巡る探索で、
男女14名の参加者が応募された。
まずは町内温泉に集合。
装備を整え簡単なミーティングの後、
分析所付近に移動後、探索をスタートする。
大正5年に農場で発見された金塊に端を発するここ北の王金山は、
東洋一と謳われた
鴻之舞鉱山をも凌駕することを願い、
北の王=ノースキングと命名された金山である。
金鉱山の名称や歴史的経緯、
当時の生田原町の人口増や、
その盛況ぶりを解説する。
まずは浄水タンクの遺構からだ。
付近から市街への水道の供給を担った施設跡だ。
大きな遺構の撮影に皆さん夢中だ。
苔むして残る階段に到達。
紅葉の中、映える廃墟だ。
当時、道内第四位の地位を確保し、重要鉱山の一角を占めていた。
その上部は広範囲に広がる分析所の遺構だ。
金の含有量や製錬後の合金について説明する。
しばしの自由時間を設け、各自撮影探索する。
昭和12年新設の青化製錬所跡に到達だ。
城壁のような巨大な石垣。
圧巻の風景だ。
広がる製錬所の脇を移動する。
堀り出した鉱石から必要な金属を抽出する工程、
それが製錬だ。
精錬所の内部にも足を踏み入れる。
乾式そして湿式製錬、
ここでは化学反応を用いた湿式製錬であったことを解説する。
青酸カリ中のシアンの毒性、
金属と結びつきやすい性質。
そのシアンを用いた青化法について説明する。
粉砕して泥状にした鉱石とシアンを二昼夜撹拌するリーチング工程後、
結び付いたシアン+金合金を切り離すために、
亜鉛粉末を投入するメリルクロー法。
その先には巨大なボイラー煙突の廃祉がある。
ここで完成したのは金+銀+パラジウムの合金であり、
その後四国などに鉱送し、電解精錬を行ったことを解説。
製錬所の大穴に注意して進む。
昭和18年の『金山整備令』、戦争で孤立した日本が
直接戦況に影響しない金山の採掘を中止したことを説明する。
更に上部の遺構を目指す。
斜面と重力を利用した製錬方法についてお話しする。
上部まで延々遺構が続く。
精錬所の奥深くも探索する。
世界的な価値が下落した、戦時下の金の役割は
昭和17年10月23日、金鉱業の整理に関する件という閣議決定に終結する。
森にそびえる圧巻の製錬所前で佇む参加者たち。
金を主鉱とするすべての鉱山は原則休・廃祉、
その生産施設や労働力は他の重要鉱山に配置転換するというのが指針だ。
落ち葉舞う頂をしばし眺める。
昭和18年3月31日に閉山したここ北の王鉱山であるが、
今は森に廃墟を残すのみとなっている。
参加の皆様、お疲れ様でした。
また、大変ありがとうございました。