マンガン喰い




1986年に廃止された国鉄 胆振線の、
アバットが付近には残る。 アバット

伊達紋別〜倶知安間83kmを結んだ胆振線は、
当初、脇方鉄山の豊富な鉱石を搬出する目的で敷設された。
こちらには立派なプレートガーター橋が残存する。 プレートガーター



ガーター橋で渡る廃線跡。
草生しているが、
辛うじて路盤が確認できる。 ピア


ここから川沿いに山中へ入る。
11月の早朝は霜が降り、
山霧が幻想的だ。 オロウエンシリベツ川

付近には開拓農家の廃村が残る。
離農してから、
相当の月日が経過したようだ。

オロウエンシリベツ川の上流に差し掛かる。
水量は多くないが、
冷え込みは厳しい。 川霧

付近の鉱山事務所跡を探索する。
2級火薬庫、休息所1棟、
などが設けられた記録がある。 火薬庫

付近には水準点があり
不思議な平場もある。
しかし建物の基礎や廃材は見当たらない。 鉱山事務所



付近をくまなく探索したが、
結局、目立った遺構は発見できなかった。 平場

ここからは林道を歩く。
鉱山跡までは2km程度だ。 橋梁

小錫橋(こすずはし)を渡り上流を目指す。
付近は森林伐採が進められているようだ。 小錫橋

崖にはここ数日の冷え込みか氷柱がぶら下がる。
鉱石の露頭のような岩肌がある。 氷柱

林道は幾つもの分岐を経過して登る。
地形図頼りで山中を歩く。 林道

小一時間歩いていよいよ廃坑跡に近づいた。
この先に3ヶ所の坑口があるはずだ。
ここからはGPSの確認をしながら歩く。 鉱山の沢

鉱山の沢がいよいよ狭まる。
まずは新しい「大切坑」だ。 鉱山の沢

進むと谷間に植生のない丘が現れた。
これはズリ山だ!
鉱山跡に到着したようだ。 ズリ山


小さな小さなズリ山で、
しかし間違いなく鉱石が混じっている。
左岸をさらに探索する。 ズリ


笹薮の斜面を登る。
黒い穴のようなものが見える。 坑口


坑口跡だ。
穴は崩れた上部の穴で
この下に埋没しているようだ。 穴

下部には土手から噴出する湧水による池があり、
その上に先ほどの黒い穴がある。
大切坑で間違いない。 坑口


大切坑から山上を望む。
最も標高の高い「八十八坑」を目指す。
200m程度は登ることになりそうだ。 八十八


道なき斜面を登る。
植生の少ない平場を目で追う。
残雪で非常に滑りやすい。 登攀


雪の残る土手には、
一部木の生えない荒れ地がある。
ここが坑口だろうか。 坑口跡


急角度の斜面を探索する。
ここは非常に怪しい。 八十八坑


坑木らしい木材が落ちている。
ここが「八十八坑」で間違いない。 坑木


再び残雪の斜面を下り、右岸の「栄抗」を目指す。
足元の斜面には蛇紋岩らしき、
緑色のズリが散らばる。 斜面


激藪を縫って今度は南斜面を登る。
枯れ沢にはほとんど水は無く、
この上に坑道があるようには思えない。 劇藪


急に水量が増え、
どこかから水が湧いているようだ。
息を切らしてなお登る。 湧き水


谷間が少し広がると、
少し歩きやすくなり、
沢の右岸を確認しながら登る。 鉱水


笹薮の繁みの奥に黒い部分がある!
もしや坑口では・・・。

笹薮の道なき斜面を急いで登る。
根は弱り、この時期の藪漕ぎはまだ楽だ。
気がはやる。 笹薮

なお近づくとやはり黒い穴のようだ。
笹薮でカモフラージュされ、
その全貌はまだ見えない。 坑口

ようやく坑口に到達した。
「栄抗」だ。
坑口は小さく這って入る大きさしかない。 坑口

土砂で半分以上埋没しており、
水蒸気が飽和して立ち上る。
内部は続いているのだろうか・・・ 坑道

続いている!、
黒い坑木が朽ち、黄色い岩肌の岩盤が続く。
それでは入抗してみよう。 栄抗

入口は高さ数十cmしかなく、
屈んで這って入抗する。
足元は脆く、みるみる崩れる。 入抗

入坑して間もなく、
足元には小さな氷筍が成長している。
この時期ならではの自然の芸術だ。 氷筍

黒く腐食した坑木が折り重なる。
気温が高くなり、
空気は流れていない。 坑木

坑内は屈むほどの高さしかなく、
羽虫が非常に多い。
少しずつ奥へ進む。 坑内

坑道は奥へ続く。
いかにも手彫りで、
非常に狭い。 坑内

坑内はどんどん狭くなり、
そして水も流れている。
まだ続くのだろうか・・・ 坑内

長い坑木も落ちているが、
全体に遺構は少ない。
少しずつ気温が上昇している。 坑木

硝子ビンのようなものが落ちている。
上国富鉱山の坑内でもあったが、
日本酒の一升瓶のようだ。 一升瓶

やがて入坑100mほどで掘削は終了する。
ここが終点だ。
これだけの山中によく残存したものだ。 終端

内部には犬釘のような、鉄材も落ちている。
掘削の楔として使用したのか、
またはレイルがあったのかもしれない。 犬釘

短い坑道であったが、
手彫りで雰囲気十分であった。
今度は真冬に訪れるかもしれない。 坑道






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坑口跡
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