水洗選炭機 夢のあと




芦別市街地から北東に約10kmのカナディアンワールド公園。
炭鉱跡地の47ヘクタールに平成2年(1990)開園、外国旅行の疑似体験を構想したものの、
その目論見は外れ、現在は市営公園として開放されている。 カナディアンワールド

パンケホロナイ川の支流、二俣川右岸の広大な荒れ地。
抗施設の中心部へ進んでみよう。 治山


足元には酷く腐食したパイプが横たわる。
埋蔵炭量は海水面下180m以上で5,275万tと推定され、
大規模な炭鉱であったのは間違いない。 配管


沈殿池のような施設もある。
石炭の運搬は緩傾斜を利用し、
チェーンコンベアーやベルトコンベアーを用いて炭車に積載された。 沈殿池


広大な施設跡の端部に沿って歩く。
廃水の施設が残存している。
水洗選炭機が稼働していたので、その遺構かもしれない。 廃祉


広大な炭鉱跡地を映す小池。
斜坑からは電動巻揚げ機、立入は畜電車。
大立入は畜電車と有線電車により坑外搬出していた。 炭鉱跡


中心部にはRC製の遺構がある。
これはホッパー関連の施設だと思われる。
水洗選炭機から輪車路経由の施設であろう。 廃墟


広大な敷地に唯一残る施設群。
昭和26年4月完成の水洗選炭機は昭和30年に一度火災消失し、
翌年再建された。 炭鉱施設


原野に佇む炭鉱廃墟。
コンクリートは剥がれ落ち、辛うじて姿を留める。
尺別炭鉱にも同様の施設が残存していた。 遺構


数点の廃墟以外、何も残っていない。
簡易郵便局や巡査駐在所も設置され、
昭和28年4月には黄金小学校が開校した。 跡地



治山された斜面に水路が這う。
それにしても巨大な炭鉱施設だ。
丘に登ってみたが、施設は残されていない。 治山


昭和47年の閉山から約50年間。
200人が暮らしていたとは到底思えない。
坑内火災が命取りとなって、昭和47年の8月までに本坑の撤収は完了した。 鉱山



開坑以来25年続いた炭鉱集落も姿を消し、
周辺農家も過疎化、市立病院黄金診療所、郵便局、芦別警察黄金駐在所等も無くなり、
最終的には黄金小学校の全校生徒数も20人となり、やがて閉校してしまった。 パンケホロナイ川









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炭鉱廃祉
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