官民折半の国策運営




泊村市街地からニセコ連峰を望む。
日本海に面し、村内はいたるところで、
山稜が海まで迫っており、平坦な土地が乏しいが眺望が豊かな静かな村だ。 ニセコ連峰

玉川沿いの道道茅沼鉱山泊線を登る。
かつては茅沼炭鉱の鉱員社宅が並んでたあたりだが、
現在は宅地となりその痕跡も疎らだ。 茅沼炭鉱


正面の植生が疎らな山がズリ山だ。
付近には民生寮や送炭機があったはずだが、
原野が広がっている。 ズリ山


積品ポケットあたりの遺構である。
茅沼炭鉱は白糠炭鉱に次ぎ、1860年に道内二番目に開坑した炭鉱である。
昭和39年(1964)採掘条件の悪化により閉山するまで、100余年にわたり稼行した。 積品ポケット


第三水平坑付近の煉瓦製廃祉。
当時としては画期的な洋式の採掘法を流用し、
また道内最初の鉄道(茅沼炭鉱鉄道)が敷設された。 第三水平坑


上流には輪車路跡と思しき隧道跡がある。
内部は産廃が蓄積し、すぐに行き止まりだ。
玉川鉱山に向けて更に上流域を目指す。 輪車路跡


対岸の南坑付近を望みながら進む。
電工詰所や鉄工場も存在したようだ。
現状は疎らな木々の斜面である。 南坑


林道に大きなエゾシカの頭蓋骨が横たわる。
米、味噌、醤油などの生活物資もこの林道を通って運搬していた。
社宅や診療所の存在も資料にあるが、今は想像もできない。 頭蓋骨


いよいよ山深くなり、名も無い滝が存在する。
主坑道のほか、数ヶ所の坑道があったそうだが、
やがて大鉱脈にあたり、徴用鉱山となったようだ。 滝


中央右手にRCで封鎖された坑口である。
金属鉱山の坑口が密封されているのは稀だ。
炭鉱は密閉することで補償金の対象となったのだが。 坑口



斜面にドラム缶が朽ちている。
坑口下流に販売所、浴場、学校等が建設されたらしい。
付近が鉱山の中心部であろう。 ドラム缶


右岸の斜面には廃階段がある。
上部には平場しかなく、
恐らく神社の廃祉だと思われる。 神社跡



人跡未踏な山中に埋もれた配管である。
フランジ付きの100A程度のパイプであり、
かなり腐食した状態で散乱する。 配管


いよいよ鉱山跡の懐に入る。
昭和18年ころからはコンプレッサーを用いた、
削岩機による採掘が行われた。 鉱山跡


等辺山形鋼で組まれたイケールが斜面に埋没している。
これは鉱石を流す選鉱に関する施設だろうか。
アングルに穴が開いているので、何かを固定していたようだ。 イケール


これは坑口ではなく選鉱所のポケットのようだ。
ホッパーなどに繋がる鉱石の通り道だ。
更に遺構は続く。 選鉱所


藪に埋もれたホッパーの廃墟である。
重要鉱物資源の急速開発を担う、
鉱山跡の現状だ。 ホッパー


付近には碍子が散らばる。
電化の痕跡は今は見えないが、
当時は北海道三重要鉱山に指定され、資本も投入されたのであろう。 碍子


更に山中には露天掘り跡が存在する。
雪解け水のこの時期ならではの池に映る採掘跡。
国策鉱山ならではの機密事項も多く、関係書類は焼却したとの時代背景もある。 採掘現場






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沢
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