無人の盆踊り広場
夕張市若菜地区を望む。
奥の山裾で旧夕張鉄道が脱線転覆を起こしたのが、
大正15年10月の開通3日目だった。
夕張鉄道旧若菜辺駅跡は、
現況の夕張支線より少し北方の上部にある。
昭和29年には若菜駅と改称された。
廃ホーム跡が残存している。
ピーク時の昭和36年の乗降客数は年間20万人を超過していたが、
末期の昭和46年にはその1/10となってしまった。
ズリ山である現研山を背に若鍋沢に沿って、
山に入る。
雪は締り、そこそこ歩き易い。
山スキーの踏み跡がある。
現在の標高は270m、目指すは340m付近だ。
熊鈴と爆竹、ホイッスルも定期で鳴らしヒグマとのニアミスに備える。
少し登攀すると眼下には円形の遺構が見える。
あれはどうやらドルシックナーのようだ。
接近してみよう。
浮選用の濃縮液の製造か、
還元水の濾過か、位置的には後者の工程のようだ。
今は雪氷で満たされている。
所々に植生の薄い、かつての建築物を、
想像させるような空き地が点在する。
ここはオンドル長屋下か小学校付近のようだ。
眼下の若鍋沢には砂防ダムがある。
かつては河川敷に露天風呂があったが、
紆余曲折があり、現在は取り壊されている。
ここは大きな空き地となっている。
坑外図に明記された盆踊り広場だろうか。
奥には何かがある。
奥の斜面には小さな鳥居がある。
祠こそ無いが、かつて人の暮らしがあった証だ。
炭鉱町ならではの棄てられた風景だ。
斜面を登る階段がある。
街が広がっていたのかもしれない。
もう少しで繰込所付近だ。
脇には遺構がある。
貯水槽の関係のようだが、
RCは非常に荒く、劣化している。
そして遭遇したのはヒグマの足跡だ。
鹿の足跡は多数あるが、やはり圧倒の迫力だ。
時間的にはかなり経過しているようだ。
斜面から吐出する配管。
腐食激しく、今は機能していないようだ。
更に奥を目指す。
少し登るとまたもや開けた場所に出る。
付近は社員社宅付近だが、
砂防ダムのポンプ施設があるぐらいで目立った痕跡は皆無だ。
その奥で忽然と現れたのは、
円形のRC造の建築物とそこから生える配管だ。
これは立坑跡だ。
氷柱に覆われる北部第2立坑跡。
奥部排気立坑と呼ばれ、
完成は昭和39年、閉坑は昭和50年5月15日だ。
ガス抜きの配管である。
立坑は約900mの地下坑道まで接続しているはずだ。
配管はもう機能していない。
隣の立坑跡らしき斜面に向かって登る。
この時期、雪崩に注意が必要だ。
かなりの斜面だ。
左は北部第3立坑跡だ。
右手には謎の建物がある。
雰囲気は昭和後半のように近代的だ。
ブロックで組まれた建物内には太い木が育つ。
これは閉山間際に建設された、
安全灯室か繰込所の一部のようだ。
廃祉の屋根は抜け落ち、
度重なる積雪の影響が大きいようだ。
ブロック組ということは火薬関連ではなさそうだ。
付近の積雪はかなり多い。
北部第3立坑はすっぽりと雪に覆われている。
立坑の上部に登ってみよう。
北部第3立坑から望む奥部排気立坑。
北部第3立坑は昭和43年完成。
密閉されたのは昭和50年とたった7年の稼働だったのだ。
最奥の琴平一番坑、八坂坑を目指し沢を歩く。
頭上には朽ちた配管が跨ぐ。
これは自然発火防止のためフライアッシュ(石炭灰)を集塵流送したのかもしれない。
河床にはナロー系のレールが埋没している。
12kgf級の細いものだ。
付近には少なくとも三路線が敷設されていたようだ。
付近の斜面上には煉瓦製の遺構がある。
恐らく火薬庫関連だと思われるが、
すでにアートの域に達しているかの造りだ。
琴平一番坑付近に達した。
ここは旧東斜坑と呼ばれた坑口だが付近に電柱が残存する。
しかし坑口の発見には至らない。
琴平西二番坑付近までさらに登攀する。
残雪が増えてきたが、やたら獣の臭いがする。
そして眼下に遺構だ。
斜面の坑口である。
しかし位置がおかしい。
添坑道(通気上、主要坑道に沿った排気・人道坑道)かと思ったが・・・。
中を覗くと向こう側が見える。
Iビームの支保工はあるが、これは坑道ではなく、
目抜坑道(坑道間を繋ぐ小坑道)のなれの果てかも知れない。
付近には同様の坑口が複数ある。
高さは300mm程度しかなく、埋没しているようだ。
琴平西二番坑は斜坑であったのでこれは違うようだ。
その奥には斜面から突き出た煙突がある。
ここが琴平西二番坑であろう。
付近をかなり歩いたが他の痕跡は発見できなかった。
琴平西坑は西1番坑、西2番坑、西2番斜坑が存在した。
昭和5年には閉坑したとのことであまりに旧い。
八坂坑付近に向かう。
八坂坑方面に向いて先客がいた。
またもやヒグマの足跡である。
単独行であり、これは危険と判断し撤退した。
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