二系統分流風洞




かつての大夕張ダムがそのまま水没している、
平成26年11月完成のシューパロダム。
ダム湖の面積全国2位の重力式コンクリートダムである。 シューパロダム

昭和41年に廃線となり、すでにダム湖に沈んだ鉄道遺産。
大夕張森林鉄道 夕張岳線 第一橋梁「三弦橋」である。
総延長381.8mの下路ワーレントラス橋だが現在はもう見れない。 三弦橋

新しいダム湖を過ぎると旧鹿島地区だ。
ピークの昭和30年には2,500戸が存在し18,000人が暮らしていたが、
今は荒涼とした平場を残すのみだ。 鹿島

かつての鹿島、緑町付近の炭住街だ。
このころは既に人は少なかったが、
整然と並び秀峰夕張岳を仰ぐ姿は非常に美しかった。 炭住



国道沿いにあるスリーダイヤを坑門に記した坑口だ。
昭和15年に開坑した新斜坑材料坑道だ。
密封されてはいるが、 なかなか立派な体躯だ。 新斜坑材料坑道



ズリ山を見上げる。
昭和48年の閉山後、約45年の経過をもってしても、
植生が疎らだ。 ズリ山



遺構のある沢を少し登る。
付近には斜坑や自動制御の選炭機もあったはずだ。
しかし資本によりかなり治山されている。 遺構


温泉水の噴き出る第一斜坑(1328m)である。
付近は硫黄臭が激しく、
水の温度は少し高い。 第一斜坑


すぐ脇には第二斜坑(1356m)である。
こちらは硫黄臭や温泉水の吹き出しは無い。
森に還りつつある。 第二斜坑


付近にはレイルを交えたRC塊がある。
大夕張全体で開坑していた43年間で約2,485万tの出炭を記録している。
これは長壁法やV型採炭などの出炭効率の上昇によるところが大きい。 レール


ここからはひたすらパンケホロカユーパロ川に沿って林道を進むこととなる。
距離は片道約4km、標高差150m。
通常は車両進入禁止のため徒歩となる。 パンケホロカユーパロ川


しばらく右岸を登ると以前、採石場として稼働していたホッパー跡に遭遇した。
ここはペンケ坑付近だが、本施設は炭鉱とあまり関係がない。
しかし付近で事故があったらしく、慰霊碑などが残されている。 採石場


林道が沢を跨ぐ部分で重厚な橋梁が現れた。
これは大夕張森林鉄道の主夕張線のシューパロ川を跨ぐ場所にも存在した記憶がある。
不思議な橋梁なのでよく見てみよう。 橋


これは重構桁(じゅうかまえげた)橋と言われる珍しい橋梁だ。
旧陸軍鉄道隊が応急橋として組立可搬型の構造を開発したものだ。
分解組立が人力で行え、かつ二等辺三角形の主材を組み合わせることで広軌の重列車にも耐えうる強度を保っていた。
(マウスonで大夕張森林鉄道 主夕張線橋梁)


三角形のグリッドの頂点をピン接合するトラス構造となっている。
これはかかる外力に対して、一方は圧縮、もう一方は引っ張り力を受け、応力が接点で釣り合うこととなる。
各部材に軸方向の力だけが伝達され、曲げモーメントに対する変形が小さい。 JKTトラス


一辺3mの部材をトラス構造で連続的に組み合わせることで、
支間長32mまでの橋梁が人力で組み立てられ、
上下に複数増設することで、更に耐荷重の構造が得られた。 JKTトラス


ここからは鹿島の沢に沿って登る。
林道ではなく軌道跡のような小路だ。
いよいよ香取坑に接近する。 JKTトラス


そして沢に埋もれるトロッコの車軸である。
φ370程度と東邦福島鉱山のトロッコに比較してもかなり大径だ。
なぜかよくこのアクスル状態で朽ちているものが多い。 トロッコ


斜面深くには煙突らしき排気坑があった。
その足元には坑口である。
しかも密封を免れている。 排気塔


密封されていないことから、これは坑道ではなく、
通気上、主要坑道に沿って掘進した添坑道か、
火薬取扱用、または人道などの坑道であろう。 坑口


しかも坑道からは沢に向かってレイルが2本、飛び出している。
レイルは12kgf級の軽軌用のものだ。
おそらく先ほどの車軸との関連があるのだろう。 レール


入坑した坑内は5m程度で埋没している。
奥にはホッパーらしき構造物もあるが、
そこまでは進めない。 坑道内


更に遡上すると巨大な構造物の体躯が見えた。
香取坑 風洞である。
排気か吸気か、中央式か対偶式か、期待は深まる。 風洞


斜面に沿って横たわる風洞は30m程度ある。
足元付近で垂直に角度を変えているのだろう。
その足元には・・・。 風洞


坑口である。
風洞に近く吸気側の斜坑かもしれない。
少し覗いてみよう。 坑口


入口は埋没し、既に300mm程度の隙間しかない。
内部は斜坑ではなく、水平坑道に近い。
奥で激しく埋没している。 坑内


それでは風洞に沿って登ってみよう。
見える範囲は14°以下の斜坑で規定される、
斜度以下しかないようだ。 風洞


風洞の脇には大きな建屋がある。
これはお約束の扇風機室かその変電所だろう。
この斜面は積雪でなかなか大変だ。 扇風機室


廃墟内は屋根が高く、変電施設を兼ねていたようだ。
この山中まで送電するのも大変な労力だと思う。
扇風機は通常1,500馬力程度あったはずなので、その消費電力も相当なものだと思う。 変電所


ここにはアンカーボルトがあり、巨大なモーターが鎮座していたようだ。
風量8,000立米、出力600kwを誇る通気施設だ。
ここから延長900〜1,500mの地底へ風を送っていたのだ。 モーター


積雪の中の変電施設の廃祉である。
先ほどの風洞は恐らく吸気側の風洞で、
ここの巨大扇風機と接続されていたのだろう。 通風機室


吸気風洞の最上端である。
フェンスで覆われ内部には入坑できない。
隙間から覗いてみよう。 吸気風洞


風洞内部は急角度で下っている。
風の通り道はやはり斜坑とは異なり、
その斜面は歩くことをあまり想定していない。 通風


その吸気坑道に寄り添うように、
もう1本の風洞が横たわる。
これは排気側の風洞である。 排気坑道


排気側も埋没激しく入坑はできない。
入排気風洞の接近具合から、つまりは中央式の通気方式ということになる。
対偶式に比較して効率は悪いが、旧い炭鉱にありがちな通気方式だ。 排気風道


再び風洞を下った先には煉瓦の重厚な建築物がある。
これは火薬の関係か、かなり古い施設のようだ。
こんな山中に人知れず残存しているのが痛々しい。 煉瓦


煉瓦はいつもよく残っている。
昭和48年4月19日、大夕張炭鉱の閉山が宣告され、
6月全山投票、8月、反対運動も空しく戦後28年目にして歴史を閉じた。 煉瓦







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廃祉
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