美唄炭礦跡 鉄車工場 探検: 北の細道 三井美唄炭鉱

美唄炭礦で鉄車工場に入る




北海道美唄市

  前身の光珠炭鉱が昭和3年、経営移管した。
それまで標高140m付近に形成された炭鉱町が美唄鉱であり、
昭和8年から炭鉱住宅、病院、山神社、学校等の大移動が起こる。
職・住の拠点が落合の沢上流から美唄南部扇状地に移転することとなった。

目的は就業の利便性、衛生福利の充実などであり、
かつての炭鉱住宅は一棟8戸程度の共同便所の長屋であったが、
新築される住宅は二室式の物置別、各戸便所という画期的なものだった。

しかし施設設備拡充の一方、合理化はかつてない勢いで進行する。
従業員数が減少しても、出炭量は2.9倍となり
ピーク時の昭和14年には年産80万tを超える。

今回は道央自動車道から見える炭鉱関連施設の探索だ。
ボイラー室や鉄柱工場、電車庫などが林立していた、
かつての巨大炭鉱跡を歩いてみよう。












積込み場・廃墟・巨大煙突・・・


煙突跡
( ̄u ̄;)煙突跡



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