月形炭鉱跡 探検: 北の細道

月形炭鉱で廃墟を登る




北海道月形町
鉱石及び岩石は破砕されると、地山にあった場合より容積は増大する。
その増積率は、綿密な粘土で35%、東北地方の扁平に割れやすい鉱石で60〜80%となる。

「シュリンケージ採鉱法」はこれら性質を流用した採鉱法である。
坑道角を下から上方に採掘し、採掘した鉱石は搬出せずにそこに溜めておき、
それらを足場にして、更に上方に採掘を進める方法である。

容積が増大し破砕鉱石上に必要な空間が確保できなくなった時にだけ、
鉱石を抜き取り、また破砕充填を繰り返せば良い。

札幌の北70分に位置する月形町は、明治14年に設置された樺戸集治監とともに誕生し、
石狩川に沿った静かな農村として発展してきた。
現在では「道民の森」という自然リクリエーション施設もあり、
自然が豊かで公園も多い。


月形駅から須部都川上流に約20km。札比内から山越えした中野の道有林内に本炭鉱は存在した。
最盛期の昭和30年当時には職員40名、鉱員200名、月産4,000〜4,500tに及ぶヤマであった。
閉山した翌年の昭和39年からかつての炭鉱職員によって「月形会」なる会が結成され、
年に一度、20回以上も懐旧談が交わされたという。

九州に本社を持つ経営資本は豊里炭鉱の開発に着目していたが、
炭層幅1m以上のものが9層露出していた月形炭鉱の有望性に資材人員を投入することとなる。

月形炭鉱の主要需要先は電力関係であり、炭界不況に掘することなく堅実な躍進を遂げる。
貯炭600tの選炭ポケット、10t/時処理の水洗選炭機、山元からの索道は延長6.5kmあり、
バケット容量0.25t、バッテリーロコ2台・1.3t積み鉄製炭車10台を導入する健全経営であった。

それに伴い昭和35年度の出炭目標は63,000tで、従業員1人あたりの出炭量も25t→34.5tを目指していた。
この地区の炭層は直径800mの分厚い茶碗を8枚重ねたような構造で、
当初、地上層を崩して採掘していたが、地下層の炭質が良好な部分になると出炭量も飛躍的に増大した。

深い山中のかつての炭鉱跡。
今となってはそのアクセスも厳しい炭鉱跡を探索する。



川渡り、坑口、羆・・・





月形炭鉱
( ̄u ̄;)選炭所



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