炭鉱跡 探検: 北の細道 La炭鉱跡

La炭鉱跡で温泉を発見する




 「前川レポート」研究会の座長が前川元日銀総裁  はかつての中曽根首相の私的諮問機関に存在した、
「国際協調のための経済構造調整研究会」が昭和61年(1986)に提出した報告書の通称だ。

前川レポートは当時、日本にとって大きな国際問題となっていた『貿易摩擦』の解消のため、
貿易黒字体質を変革する方法を、内政と外交の両面から提言したものであったが、
骨子は「黒字減らし貿易で国際協調」を柱としていた。

当時の産業経済構造について内需主導型の構造転換、そして斜陽産業の切り捨て、
つまり主力産業以外の製品は輸入して、国際分業化を図ろうというのが筋書きであった。

ここで石炭産業及び産炭地域市町村にとって、大打撃となったのが、
『石炭は大幅縮小』の一節であり、それを紐解くと、
内外価格差の著しい品目は着実に輸入を増加させる、
そして石炭産業の国内生産を大幅に縮減、産業転換を進めるというものだった。


今回到達した山上の遺構は、 senyamominya様発見の炭鉱跡だ。
彼女が推論した場所へ半信半疑で行ってみるとそこには巨大遺構が・・・。
後の調査で昭和7年には閉坑した鉱区であることが確認できた。
しかし廃祉は昭和30年代以降の雰囲気があり、
恐らく閉坑後に排気風洞として再生された可能性もある。
現地は山深く、遭難の危険性も高いため場所については伏せさせていただく。



土台・温泉・アンカーボルト・・・




到達
到達





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