水力採炭、夢の跡
道北の交通拠点、羽幌町は天売・焼尻島へのフェリー港がある。
サンセットビーチ・バラ園・温泉と観光施設も充実している。
入山は炭住街の一画からとなる。
当時の人口は12,000人、3か所の
浄水場を持つ、
大きな街であった。
当時、12,000名の住民が懇願していたのは、
国鉄 築別−札幌間の準急行ダイヤの運転であった。
昭和36年1月15日、それは現実となり
約5時間で築別−札幌間を結び、
翌年それは急行に格上げされた。
それまでは列車の乗り換えで、留萌/深川で2時間待ち、
場合によっては日帰りできず出張帰路は深川で1泊ということもあったようだ。
炭住街から山中を進む。
目的の排気立坑は約1kmの道程となる。
残雪の山中を進む。
ルートはかなり激しくペースは遅い。
1時間程度登ると、やがて人工物が見える。
恐らく目的の排気立坑に到達だ。
羽幌本坑 排気立坑に到達だ。
本斜坑底部に設けられ、南部内深部の通気に利用されていた。
手前の土台が扇風機や電動機(モーター)が設置されていたであろう基礎となり、
奥が立坑に繋がる坑口となる。
坑口は閉山時に密封されている。
坑口はすぐに水平から垂直に角度が変化しているようだ。
これは『ファンドリフト』と呼ばれる風洞で、
坑口に近い坑道の1点から主要扇風機に至る短い通気専用の風道を呼ぶ。
手前が立坑坑口、奥がファンドリフトとなる。
もちろんこの2点は地下で接続している。
マウスon ファンドリフト断面
羽幌本坑の通気系統は、立入坑道と本斜坑を入気とし、
南部は第二斜坑に、北部は第三風井に排気する待遇式通気を採用していた。
排気立坑は本坑左部の開発のために昭和35年8月着工、
合理化5か年計画の第一陣として総工費7,300万円で昭和36年12月完成、
第三主扇はプロペラ式で能力37.5kw 総排気量880m3/minであった。
内径3.5m、坑口+160m、深度380m 覆工厚400mmのコンクリート巻で、
毎時2,000m3の空気を排出することができる。
排気立坑完成により良質炭埋蔵か所の排気が良好となり、
深部開発をより有利なものとし、採掘に弾力性を持たせるのが狙いであった。
途中、断層地帯を通過する難工事であったが、
掘削進度は60m/月、約70万tの採掘に貢献する予定となっていた。
この完成に伴い羽幌本坑の新採掘区域施設として
水力採炭と水力輸送を同時に実施する計画があり、
そのためソ連から水力プラントを輸入する交渉が進められていた。
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