みそ汁の鍵を握る

西和賀は岩手県の最西端、奥羽山脈の山沿いで冬季は雪が多い。
和賀岳から流れ始め、ここ錦秋湖へと流れる清流和賀川、
この最上流域を目指す。 錦秋湖


アプローチはあまり使用されていない林道が起点となる。
松川鉱山は明治36年(1903)、
釜の沢上部の金鉱開発から始まった。 アプローチ


和賀川最上流域を進む。
明治期に銅鉱に転じて明治39年(1906)から銅精錬を開始、
明治45年(1912)には銅2.1万斤(1斤は600g)金1.8貫(1貫は3.75kg)を産した。 和賀川


山中を進むと石垣らしき遺構が見える。
坑口か選鉱の施設かもしれない。 石垣


どうやらこれは選鉱施設の一部らしい。

ここは豪雪地帯、大正7年(1918)1月、内務省による積雪調査が行われ、
宮古から各地の積雪状況が徒歩にて確認された。 選鉱施設


当時、和賀郡川尻が2m40cm、猿橋地方は約4mと
この地方は50年来の大雪と言われた。 石垣


ところが北上山地から東海岸にむけての積雪量は
平年の1/3以下であり、海側と内陸部側で顕著な差がみられた。 選鉱


辛うじての廃道を進む。

この期間中の1月17日午前、松川鉱山選鉱場にて約2m40cmの積雪深に耐えきれず、
建屋が倒壊、作業中の2名が犠牲となる惨事が発生した。 廃道


選鉱所跡を進むと広大な一角に出る。
一見ズリ山のような平場である。 ズリ山


円錐型の黒い塊は銅の乾式製錬時に発生するスラグ(゚(からみ))である。
かつて函館の亀田鉱山 でも見た覚えがある。 ゚


採掘された銅鉱は鉱車にて運搬され、三種の分別器にて選鉱された。
砕かれた鉱石は乾式製錬により溶錬工程で熱が加えられる。 スラグ


耐火煉瓦の炉内で銅精鉱を溶かし、酸化鉄と珪石、
低融点の脈石はスラグ(゚(からみ))となり、
銅を含むマット(ハ(かわ))が回収される。 水没


銅精鉱中では銅は鉄と共に酸化物として存在し、
銅は鉄よりも硫黄と結びつきやすく、鉄は銅より酸素と結びつきやすいため、
鉄硫化物が優先的に酸化される。
これには高温(1.200℃以上)が必要となる。 廃道


その酸化反応で生成した鉄酸化物はスラグとして、硫黄は硫酸として回収される。
酸化鉄が酸化除去されると、残った硫化銅の酸化が始まるが、
溶けた硫化銅が酸化されると金属銅となって析出する。 平場


前述のとおり発見時は金鉱床であり、
露頭部には金鉱脈が多かったものの、
堀下するに従い含金希薄となり、銅分の増加がみられたのである。 石垣跡


耐火レンガの炉の跡が残存する。

鉱床底部においては完全に銅鉱脈となり、
硫化鉄や硫化亜鉛などの雑鉱物が少なかったという。 レンガ


鉱山閉山後は「木杓子」(きじゃくし/きさく)作りが繁栄、
朴ノ木を削って作り、100本/日程度の生産を行ったという。
やがてみそ汁の味はこの木杓子でよくなると噂され、
特に冬場の家庭内産業として広く伝わった。 からみ







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炉跡
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