松川鉱山跡 探検: 北の細道 松川鉱山跡

松川鉱山の木杓子を想う



岩手県町西和賀町


 明治半ばから和賀地区では鉱産が開発されており、
当時、鉱山で働いて金を得ることは『金山稼ぎ』また『カネホリ』とよばれていた。
耕地面積の少ない農家は特に鉱山での労働に従事した。

近隣の長瀬野から松川鉱山までは歩いて2時間、夏季でも1時間を要した。
農業と兼務で鉱山で働き、夏は夕方まで田畑の仕事をしながら
夜間に松川鉱山で働いた方さえいる。

鉱山は様々な場所から人々が集まり、その交流が激しかった。
賭博や鉱山に投資し破産した人もいたらしい。
鉱山で働いた方々の記憶では稼いだ金は不思議と残らなかったという。

鉱山が廃れた後は、「木杓子」(きじゃくし/きさく)作りが生活の糧となった。


木杓子

木杓子はみそ汁などの汁物をすくうのに使った、木製のスプーンのようなものである。


今回は岩手県和賀川最上流の銅鉱山、松川鉱山跡の調査となる。
銅の製錬には高温の溶錬工程がある。
炉やスラグの痕跡も見落とさないように探索したいと思う。

゚・ハ・木杓子・・・



坑口
坑口





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