メタンの有効活用
夕張市には昭和35年(1960)当時、17の炭鉱が存在し、
その従業員数は1万6千人を超えていたが、
平成2年(1990)には最後まで営業していた
三菱石炭鉱業南大夕張炭鉱が閉山し炭都に幕を降ろした。
北炭清水沢炭鉱にはかつて三か所のズリ山があった。
夕張川沿いのこの山はそれらの中でも初期の最も高いズリ山だ。
ズリ山は地元の団体により公園として保存が進められている。
標高は263m、高低差は60m程度で、
約10分で頂上だ。
黒いズリ斜面には一部木々が生えず、
独特の風景となる。
ズリ山は選炭後の不要な石炭屑を積み上げた人口の丘である。
ズリ山を頂上まで登ると眼下には清栄町の炭住街が望める。
かつての清水沢炭鉱は近代的な設備を整え、
北炭のホープと位置づけられていた。
宮前町方面を背にすると、
正面には清水沢火力発電所跡を望める。
管内の夕張二坑、三坑、平和二坑、清水沢坑、化成工業所より、
10インチ配管によりメタンガスを誘導し蒸気タービンによる発電を行っていたのだ。
ガス利用の基礎となったのは昭和27年12月に清水沢坑から
坑内ガスを6インチ鉄管にて誘導し、
試験的な燃焼に成功したことに始まる。
平和坑付近のガス中継所(集配所)である。
150kwの圧縮機2台とタンク、
各所に至る配管が設置された。
付近に残る水槽の廃墟だ。
ガス爆発の伝波を防止するため、ガス誘導管の途中に水槽を設けることが多い。
化成工業所からのコークス炉ガスを誘導する1,500m、
平和坑に至る300m、発電所までの3.2kmの10インチ配管が設備された。
昭和31年7月には夕張日吉坑から2,000m、
32年6月には
奥部竪坑
から8,300mの誘導を行い、
発電所内のガスホルダーから供給燃焼させていた。
地下261mの二片連絡坑道に向かう立坑跡だ。
昭和32年完成、坑口径φ4.8m、
排気用及び人員用の立坑となる。
こちらは第一ベルト卸と呼ばれる北に向かう斜坑だ。
こちらは揚炭と入気を兼ねた坑道だ。
こちらは第一運搬卸と呼ばれる資材用の斜坑だ。
第一ベルト卸と平行に沿う坑道だ。
炭鉱跡地に沿って廃道を進む。
目指すのは鐘ヶ淵温泉跡地だ。
清水沢坑のコンクリート製遺構が点在する。
昭和50年(1975)当時の維持坑道延長は20kmとなっていた。
付近には櫓のような遺構も残る。
斜坑は海抜200m地点から斜度15°で1,100mの延長だ。
森の奥には建屋が見える。
恐らく鐘ヶ淵温泉、後の夕張温泉跡だ。
夕張温泉観光ホテル跡に到達だ。
昭和35年9月完成、
当時、夕張の憩いの地だ。
温泉施設は865m2の2階建て。
泉温は低く、沸かし湯であったが夕張付近では数少ない温泉であった。
こちらは浴場のようだ。
昭和の初めには佐藤簡易旅館という宿が存在し、しかし昭和9年10月火災で焼失、
当時は鐘ヶ淵温泉と呼ばれていたようだ。
建屋から山中に進むと源泉が残る。
白濁した湯の華を流しながら
大量に鉱泉が噴出している。
湧出する源泉。
含食塩硫化水素泉、26℃(浴用加熱)、
54L/分と資料にはある。
かつてホテル前には周囲500mの池があり、
中央には小島と噴水、そしてボートも浮かべていた。
市内からばかりではなく、岩見沢、栗山、由仁などの隣接市町村、
札幌方面からも客がみえて、昭和36年では年間2万数千人の来客があった。
在りし日の清水沢炭鉱である。
炭鉱が閉山し温泉が廃墟と化しても、
とめどなく噴出する鉱泉だけが今なお残る。
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