夕張第二坑 奥部竪坑跡 探検: 北の細道 北炭夕張第二坑 奥部竪坑跡

奥部竪坑での研修を想う





北海道夕張市

  かつて北海道炭鉱機械センター(石炭鉱業合理化事業団北海道支部)という組織が存在した。
昭和43年度以降、政府補助金を投入して炭鉱従業員に、
近代化機械に対する技術の習得、知識の普及を促進する団体だ。

昭和46年度には 炭鉱機械化促進指導講習会というものが開催された。
これは5月24日より9日間に渡り、北海道炭鉱機械センターにて6日間の坑外学習、
北炭夕張炭鉱で坑内実習3日間が催された。

講師は北大教授や北炭真谷地炭鉱の技師などが対応し、
受講生は北炭の各坑の13名と札幌鉱山保安監督指導課のメンバー、
指導目的の該当機械は全断面掘削機、つまりロードヘッダ―MRH-S40B型であった。

講習内容は岩石力学の立場から、これまでの研究成果が解説された後、
坑外実習として該当機の分解組み立てを行い、その構造や機構を理解する研修となった。
特に模擬坑道内での運転実技中に故障が発生し、講習生自らが分解修理を行うこととなり、
模擬後に行われた試験では全員が90点以上という好成績を収めるに至った。

坑内実習は北炭夕張炭鉱第二坑奥部竪坑内で
運転実技を中心に行われ、実際に炭層を掘削する現実的なものであった。

実技講習後は機械導入における注意事項や保安上の注意点の説明があり、
若手の育成に貢献する講習会であったことが窺える。


昭和36年の北炭営業案内によると、
夕張炭鉱(第一/第二/第三坑)と清水沢炭鉱の総称である夕張鉱業所が紹介されている。

夕張鉱区図
夕張鉱区図

第一坑(千歳・北上・最上)が海抜366m、第二坑(一〜四区)が海抜337m、
第三坑(松島・橋立)が海抜300mからなる夕張鉱区は、
明治9年にライマン氏により石炭の存在が明らかになり、
明治21年秋に炭層の露頭を発見、翌年北海道炭礦鉄道会社が設立される。
明治39年には鉄道が国有化され、社名が北海道炭礦汽船株式会社に改められる。

大正時代に北炭は飛躍、昭和に入り、滝の上水力発電所、清水沢火力発電所の設置、
真谷地専用鉄道や万字線などの輸送経路が確立し、文字通り独立独歩の道を歩む。
その後再編と事故を繰り返す中、第二坑は昭和46年(1971)に閉山を迎える。


合理化とは誰しもが納得する形で無駄を省き、作業の手順や方法を見直し、
適切な機械を使用して人員配置を適正化することだ。

今回紹介の奥部竪坑は夕張鉱業所の合理化の一環の中で、
時代と共に奥部に発展した採掘区域への移動時間短縮と通気の効率化、
短時間の資材の搬入と人員の昇降のために掘削された入排気立坑である。

そこは広義の意味であまりにも遠く、特に最近では簡単に到達できる場所ではない。
十分な装備と準備をもって、片道13キロに及ぶアタックを敢行してみよう。

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ズリ山
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