三舟美唄坑跡 探検: 北の細道 三舟炭鉱跡

三舟炭鉱で斜坑を下る




北海道美唄市

 美唄は北海道の中央部に位置し、函館本線と札幌・旭川を結ぶ一級国道12号線の中心地だ。
東部には林産資源と石炭資源を抱え、西部は肥沃広大な石狩平野に臨み、
石狩川に面する一大穀倉地帯を背景として発展を続けてきた。

近年、農業の近代化に加え総合農政の推進が進んでいる。
石炭産業については昭和38年の三井美唄鉱業所の閉山をピークに合理化が進み、
美唄市の産業に大きな打撃を与える結果となっていた。

美唄の人口ピークは昭和31年の92,150人、昭和12年ころまでは37,000人ほどだったのが
昭和25年には87,000名、やがて昭和49年には4万人を下回る状況となった。

今回紹介の三舟美唄鉱業所も名称や所有者の変遷が激しい。
我路の沢、つまり沼東小学校の西側に位置し、
大正2年(1913)徳田炭鉱として開坑し、昭和16年(1941)には三井新美唄炭鉱に、
昭和26年(1951)7月24日には三井美唄炭鉱に包含、
昭和29年(1954)10月、当時芦別地区で操業中の大和鉱業株式会社を三舟鉱業株式会社と改め、
同年12月に三井鉱山株式会社の鉱区の一部に租鉱区
(他人の鉱区または鉱床において、契約に基づいて鉱物を採取する権利)
を設定し三舟美唄鉱業所として発足した。

昭和34年(1959)には5租鉱区の設定を認可、本坑及び二坑を操業した。
その後。昭和36年(1961)には三井及び三菱鉱業株式会社からも更に鉱区の一部を譲り受け、
それらを合併し採掘鉱区を拡大、昭和38年10月現在、従業員330名程度にて操業している。

付近は三菱美唄鉱業所の中心部であるが、実は我路の沢の西側は三井鉱区となる。
美唄鉱区
美唄鉱区

元々、三井鉱山 から鉱区と施設一式を借り受け採掘が開始。
三舟炭鉱時代は職員110名、鉱員250名、月産5,000tという規模であり、
ハサミ(石炭以外の岩石の混在)が多く出炭の4割がズリであった。

昭和35年(1960)月産1万1千tの出炭量の6割は火力発電に、2割は国鉄に納入、
販路は安定していたものの、しかし租鉱期限の切れた昭和40年度末に初回の閉山となった。


今回のターゲットは排気風洞と第二斜坑、
美唄スキー場の奥地に広がるかつての鉱区を探索してみよう。



100馬力巻上機・カッター採炭・CH4・・・



索道中間地
索道中間地





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