中村炭鉱跡 探検: 北の細道 住友歌志内鉱跡

住友歌志内鉱でDWP重液選別を知る





北海道歌志内市

 粉炭など細粒の石炭の選炭は非常に難易度が高い。
その成果はジグ浮選(水槽内で波で選り分け)でもテーブル浮選(縞状のベルト面で水流と振動で選り分け)でも悪く、
当時、その対策のためにアメリカで開発されたのがD.W.P(Dyna Whirlpool Process)重液選別だ。

重液選別は比重1.2〜1.6の石炭と2.2〜2.5の岩石の間の比重の重液(比重1.8)を作り、
この中に採掘した石炭を粉砕して投入する。
やがて重液より軽い石炭が浮かび上がることで選別する方法である。

DWP重液選炭はこれをより効率よく強制化したもので、
毎分280〜350Lの押し流し重液と共に渦巻き流を応用して選炭する方法だ。

DWP重液選炭

図のように25°に傾斜したD.W.Pユニットに対し上部から粒度0.5〜1.9oの粉炭を給炭する。
重液は下部から送水、分岐した一部は給炭部の押し流しに使用される(青矢印)。
選炭の媒介剤であるメジューム(緑矢印)は磁鉄鉱の乾燥した粉で、後に磁選機で回収される。
DWPユニットに入った粉炭は、流れる渦巻きの遠心力の力もあり(赤矢印)、
精炭は渦の中央部を通り抜け装置の下端から排出(灰矢印)、
ズリは重液層を貫通してユニット壁に沿って上部から排出される(黒矢印)。

DWP重液選炭
D.W.Pユニット


住友歌志内鉱は明治38年(1905)に中村炭礦として開坑した。
昭和3年(1928)住友坂炭礦(株)での経営となり、
昭和39年(1964)に鉱業所に昇格、昭和46年(1971)度重なる事故を引き金に閉山している。

度重なる変遷をまとめると以下となる。

  年代    内容 
 明治23年(1890)  試掘許可
 明治38年(1905)  中村炭礦 開坑
 大正元年(1912)12月  佐々木氏により歌志内礦に改称
 大正6年(1917)8月  奔別炭礦(株)の傘下に
 大正7年(1918)12月  山下鉱業(株)の経営に
 大正13年(1924)12月  北海道鉱業(株)の経営に
 昭和3年(1928)12月  住友坂炭礦(株)の経営に
 昭和12年(1937)6月  住友鉱業(株)に改称
 昭和16年(1941)8月  住友鉱業(株)歌志内鉱業所歌志内礦に
 昭和17年(1942)8月  住友鉱業(株)赤平鉱業所歌志内礦に
 昭和21年(1946)1月  井華鉱業(株)に改称
 昭和27年(1952)7月  住友石炭鉱業(株)に
 昭和28年(1953)  住友新歌志内炭鉱と合併
 昭和39年(1964)  歌志内鉱業所に昇格
 昭和46年(1971)10月  閉山


今回は一枚の写真にあったズリ山のその頂上を目指す探索だ。

ズリ山遠景

頂上からの眺望を想像しながら、真冬の雪山にアタックしたいと思う。

輸車路・貯炭・巻上機・・・



頂上
頂上





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