三井 砂川鉱業所 第二坑跡 探検: 北の細道 砂川鉱業所 第二坑跡

砂川鉱業所で火薬の節約を想う





北海道上砂川市

 昭和14年(1939)3月1日、関西地方の砲弾などを製造する陸軍火薬庫で爆発事故が発生した。
砲弾解体中に引火し誘爆連鎖して29回の爆発が起こり、死者94名、821戸が全焼する大惨事となった。

原因は信管取外し作業中の発火とされ、炸裂した砲弾の破片は周辺2qに飛散、
負傷者は600名を越したと伝えられる。
現在、現地には慰霊碑が建立され毎年事故の当日には慰霊の清掃活動が行われているという。

このように火薬庫は常時、爆発する危険性をはらんでいる。
もしもの爆発の際には周囲へ爆風が伝播するため、周辺の構造物や設備までもが破壊される危険性がある。
これら伝播の被害を最小限に食い止めるため、
火薬の周囲には土堤(どて)と呼ばれる土の盛土を設置することが火薬取締法にて規定されている。

土堤は火薬庫から1m以上開けてできるだけ接近、
斜度は45°(75°)以下、高さは火薬庫屋頂以上、頂部の厚さは1m以上、
堤面は芝草類、セメントモルタルで被覆するなど、細かな基準が設けられている。



三井砂川鉱業所 は大正3年に第一坑が開坑し、急傾斜炭層の厳しい条件の下で深部採炭を進めてきた。
石狩炭田北端に位置し東西約8km、南北約12kmで鉱区面積は73km2となる。
昭和54年現在で年産110万t、直轄人員1,100名のビルド鉱であった。

遡ること昭和11年(1936)日本鉱業会誌によると、
第一坑〜第四坑、大正11年に田中鑛山(株)から買収した文殊坑の4鉱区があった。

砂川鉱区
上砂川鉱区

昭和11年7月当時の坑道は以下となる。

  鉱区名   坑道名   傾斜(度)   延長(m)   深度(m)   日産(t)
  第一坑  第一斜坑  20  680  233  680
   第三斜坑 水平坑      4,030    
   第三斜坑 斜坑  20  395  135  
 第二坑  南坑 水平坑    1,470    880
   南坑 第一斜坑  30  515  258  
   南坑 第二斜坑  30  515  262  
   北大坑道 水平坑    530    
   北大坑道 斜坑  18  974  304  
 第三坑  竪入坑道    637    750
 第四坑  竪入坑道    1,300    670
 文殊坑  第三斜坑  36  500  303  320

今回は大正時代に開坑した二坑付近、
戦後奥沢坑と改称した坑口付近に残る火薬庫の探索だ。
昭和62年閉山の炭鉱、その73年間にわたる歴史の断片を訪ねてみたい。

危険庫・火薬庫・トヨエース・・・



三芯円アーチ
三芯円アーチ





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